3 売り手としてのM&Aの実施
以下では、売り手としてのM&Aの実施意向について後継者の有無別に見ていく。第2-6-19図で見たとおり、買い手側から見たM&Aの相手先の実施目的では、「事業の承継」が最も多かったため、事業承継とM&Aの関連に着目し、後継者の有無で分析していくこととしたい。
はじめに、売り手としてのM&Aの目的や想定する効果について見てみると、「事業の承継」や「従業員の雇用の維持」が多く、後継者がいない企業ほどその傾向が顕著であり、事業承継の一つの選択肢として考えられていることが見て取れる(第2-6-44図)。他方で、後継者がいる企業では、「事業の成長・発展」や「業績不振の打開」といった成長や業績改善の手段として考えられている傾向が強い14。

14 なお、「後継者がいる」企業が「事業の承継」の手段としてのM&Aを検討する理由としては、〔1〕経営者が高齢であること、〔2〕M&Aの実施意向がそこまで積極的ではないことから、売り手としてのM&Aを模索する中で、現在の後継者よりも良い後継者が確保できるのであれば、M&Aを実施したいという経営者心理の反映と推察される。
後継者の有無別に、売り手としてのM&Aを行う際の相手先の探し方について見ると、後継者がいない企業では、「自社で独自に探索する」という回答が最も多い(第2-6-45図)。他方で、「事業引継ぎ支援センターに紹介を依頼する」と回答する割合が、後継者がいる企業よりも高く、事業引継ぎ支援センターが後継者不在企業のM&Aの支援先として認知が広がりつつあるといえる。

後継者の有無別に、売り手としてのM&Aを行う際の障壁について見ると、後継者がいる企業では「期待する効果が得られるかよく分からない」という回答が最も多いのに対して、後継者がいない企業では「判断材料としての情報が不足する」という回答が最も多くなっている(第2-6-46図)。こうした点は、前節で見た実施企業の課題や買い手としての障壁と重なる点である。他方で、「相手先が見付からない」と回答する割合も後継者がいる企業に比べて多く、こうした企業に対してマッチング面での支援を図っていくことが重要だと考えられる。

事例2-6-13:日本プライベートエクイティ株式会社
「中小企業の企業価値向上を支援する事業承継ファンドを運営する企業」
東京都千代田区の日本プライベートエクイティ株式会社は、中小企業の企業価値向上を支援する事業承継ファンド等を運営する企業である。2000年に設立し、中堅・中小企業を対象とし18年間で27社の投資実績がある。後継者不在企業が増え事業承継に悩む企業も多い昨今、幅広い業種でニーズが更に高まっている。
運営ファンドの投資対象は、売上高が数億円~50億円、従業員は20~200名程度の中小企業である。最近は、企業規模の更に小さい中小企業からの相談が増えている。
同社がオーナー経営者から株式を取得し経営権を持つ期間は3~4年程度であり、その間に、組織経営に向けた基盤の整備を指導している。中小企業では、役員や従業員がオーナー経営者から経営状況を全く知らされていないことも多いが、経営の可視化を図り、経営陣の育成や企業価値の向上を支援した上で、投資先企業にとって最もふさわしいかたちで、未来への継承を実現するようにしている。
最近は、ファンド投資後に、親族外の後継経営者が株式を買い取るという前向きなマネジメントバイアウト(MBO)も増えており、投資期間に後継となる経営者を育成することで、投資先中小企業を従来のオーナー経営から組織経営へと移行させている。

「中小企業の企業価値の高めるには、経営を可視化して従業員と共有することが最も重要。経営を見える化した上で、変えるべきものと変えるべきでないものを見極め、足りないものを足し、当たり前のことを当たり前に実行する。事業承継に当たっての前向きな解決策としてファンドは有力な選択肢の一つになる。イメージや先入観にとらわれず、従業員のためにもあらゆる可能性を探って欲しい。」と法田真一社長は語る。
事例2-6-13〔1〕:株式会社ワタナベ
「中小企業向け承継ファンドを活用して、MBOを実施した企業」
新潟県燕市の株式会社ワタナベ(従業員60名、資本金3,000万円)は、半導体装置、食品・医療関連装置、自動車部品製造装置、省力化機器等のステンレスを主体とした板金加工を手掛ける企業である。
オーナー経営者の渡辺英作氏は親族内に後継者が不在で勇退と事業会社への売却を検討していたが、会社の更なる発展を望み、新工場の建設も計画していたため、日本プライベートエクイティ株式会社が運営する承継ファンドへの全株式の譲渡を決めた。経営を任せる後継者には、当時、工場長から専務に昇格して間もない松井宏伊氏(現代表取締役)がいた。
日本プライベートエクイティ株式会社は、若手の財務担当者を同社に派遣し、松井氏を中心とした経営体制を支援するとともに、設備投資や販路開拓、人材採用等も積極的に行い、事業拡大に向けた経営基盤を整備した。こうして、4年間を掛け、経営者としての自立を支援し組織経営の基盤を整えた結果、松井氏は地域金融機関の融資を受けて自ら株式を買い取った。MBOによる自立で従業員の意識も更に変わり、業績は順調に拡大している。
事例2-6-13〔2〕:株式会社ヘルシーサービス
「中小企業向け承継ファンドを活用して、M&Aを実施した企業」
千葉県千葉市の株式会社ヘルシーサービス(従業員609名、資本金1,000万円)は、グループホームの運営や訪問介護、訪問入浴等の介護事業を手掛ける企業である。千葉県を中心に30年にわたる介護事業の運営実績やノウハウ、経験豊かな人材を強みとする業界の草分け的な存在である。
同社は、2009年にオーナー経営者が、後継者が不在であったことや業界としてオーナー経営の限界を感じたことをきっかけとして会社の売却を検討、従業員のことや企業文化の維持を考えて、事業会社ではなく、日本プライベートエクイティ株式会社が運営する承継ファンドに全株式を譲渡した。
日本プライベートエクイティ株式会社は、代表取締役社長を社外から派遣するなど経営・事業基盤の強化と地域密着型の介護事業を推進、5年にわたり企業価値の向上を支援した後、厳しい業界環境が予想される中で会社を永続的に発展させていくためには、同業ではなく異業種企業にバトンタッチすることが望ましいと考え、住宅事業との相乗効果を見込み介護事業への参入を志向していた積水化学工業株式会社に株式を譲渡した。
2014年に、同社は積水化学工業株式会社の100%子会社となり、介護事業の実績やノウハウと積水化学工業のグループの豊富な経営資源を融合することで、「住まい+介護サービス」という新たな事業モデルを創造している。現在、SEKISUIブランドの看板を得たことで、人材の確保もしやすくなり、地域密着のサービスを深化させることで、介護事業を更に拡大している。
事例2-6-14:セレンディップ・コンサルティング株式会社
「M&Aによる事業承継を通じて「プロ経営者」を派遣し、生産性向上を支援する企業」
愛知県名古屋市のセレンディップ・コンサルティング株式会社は、自動車部品やハイテク部品等のものづくり企業を中心に株式取得(M&A)による事業承継と、専門的な深い知見と高い志を持ち企業価値の向上を目指す「プロ経営者」の複数派遣により、社内に経営チームをつくり、中小企業の継続的な成長や経営改善、生産性向上を直接担う企業である。
同社は、経営者の後継が育っていない場合等に、株式を一旦譲受け、その間に次世代経営者を育成し、経営陣が株式を買い戻すマネジメント・バイアウト(MBO)による事業承継を推進している。同社の株式の譲受けは、期間の定めがない長期保有が前提であり、継続的な成長を目指す視点から必要な設備投資・人材投資・R&D投資を積極的に実施する方針のため、オーナー経営者からの共感を得ている。
同社による経営改善の特徴の一つは、3,000名を超える大企業の役員・部長クラスのマネジメント人材とのネットワークである。社内に適切な後継者がいない場合は、投資先に必要な経営者像を明確化し、ネットワークからプロ経営者として派遣している。中小企業では、原価率や可働率15等の経営管理に必要な数値を把握していないことも多い。そこで、財務部門や経営企画部門を中心に経営をサポートする人材(CFO)も同時に派遣し、経営の見える化を図り、経営者を支えるチームづくりから支援している。
15 可動率とは、機械等の設備を必要とする時に、どの程度正常に動かすことができるかを示す指標をいう。
経営管理に必要な数値を整備した上で、経営参画後のアクションプランである「100日プラン」を作成する。事業運営の最適化を目的に、300項目ほどの経営課題を洗い出して、地道な効率化や現場・財務業務改善、バックオフィスの生産性向上等を図る。実行に当たっては、役員や一部の部長等マネジメント層が洗い出した課題に優先度を付け、誰がいつまでに何をやるかを明確にプロジェクト化し、経営を改善していく。
経営改善の過程で、社内の有能な人材を発掘し、同社のグループ企業間での人事交流や人材の戦略的なジョブローテーションを行って、キャリアパスの明確化も重視している。こうした業務改善と組織基盤の整備を図った後、企業価値の向上を目指し、新製品の開発ロードマップの策定等の成長戦略を立案・実行している。地道な経営改善を積み上げることで、プロ経営者を中心としたチームによる経営が可能になるという。
「当社は、プロ経営者を多数輩出し、中小企業経営を近代化することを経営ビジョンに掲げている。ものづくり、特に自動車部品、ハイテク部品等を中心に今後もグループ会社を広げ、100年企業として継続できる体制を目指すとともに、グループ企業を束ねたティア1企業16のプラットフォームを構築していきたい。」と高村徳康会長は語った。
16 ティア1企業とは、自動車等の最終製品メーカーと直接取引をする一次サプライヤーをいう。
