第2節 よろず支援拠点が他の支援機関と連携して支援を行った事例
本節では、全国47各都道府県に設置されているよろず支援拠点に所属するよろずコーディネーターが他の支援機関と連携して支援した実例について、下記の2事例を紹介する。
事例3-4-8 木村屋菓子店(宮城県柴田郡村田町)
事例3-4-9 有限会社ミタフーズ(群馬県桐生市)
第3部 小規模事業者のたくましい取組―未来につなげる―
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第2節 よろず支援拠点が他の支援機関と連携して支援を行った事例
本節では、全国47各都道府県に設置されているよろず支援拠点に所属するよろずコーディネーターが他の支援機関と連携して支援した実例について、下記の2事例を紹介する。
事例3-4-8 木村屋菓子店(宮城県柴田郡村田町)
事例3-4-9 有限会社ミタフーズ(群馬県桐生市)
事例3-4-8:木村屋菓子店(宮城県柴田郡村田町)
(菓子製造・販売)
〈従業員1名〉
「老舗菓子店を守り銘菓を開発することで、歴史と文化の蔵の町『村田町』を活性化する」
◆事業の背景
その昔、繁栄を謳歌した蔵の町、村田町で、後継ぎとして老舗菓子店を切り盛りする。
仙台市内から高速道路を使って約30分、仙南と呼ばれる宮城県の南部に村田町は位置する。古くから明治初期にかけて、染色に使われる特産品の紅花交易で大いに栄えた地域である。さらに、江戸から仙台方面と山形方面へ向かう分岐点でもあり、多くの商人が行き交う物資輸送の要衝として、豪商たちが富を蓄積していった地域といわれ、その名残は町に点在する多数の立派な蔵に見て取れる。また、穏やかな地形が京都を思わせることから、「みちのく宮城の小京都」とも称されている。
しかし明治中期から、染色技術の近代化や鉄道が海側に開通したことで、村田町の繁栄の勢いは次第に衰え、現在では過疎化と高齢化が進んでいる。
この歴史ある村田町の蔵の町並みの一角に、木村屋菓子店がある。創業は明治37年(1904年)、100年以上続く老舗の菓子店である。店舗はさほど大きくはないが、町内の常連客に愛されて「まんじゅう」や「もち菓子」、「ようかん」など和菓子を中心に製造・販売している。特に自家製の餡にはこだわりがあり、熟練の職人が丹精込めて作っているという。
「高齢で早起きのお客さまに合わせて、朝は7時から店を開けます。また店が閉まっていても母屋に来られる方にはいつでも対応しています。うちのような菓子店が町内には4店舗ほどありますが、それぞれ常連客を持っていて競合なんてありません。」と、4代目の木村正隆氏は穏やかに話す。
◆事業の転機
季節やイベントに合わせて、オリジナル商品を開発。
県産品として推奨されている「梅羊羹」など、和菓子を主力商品としている木村屋菓子店だが、村田町の歴史や風情を取り入れたオリジナル商品にも力を入れ始めている。
800年の歴史を誇り、秋に蔵の町並み一帯を通行止めにして盛大に催される「布袋(ほてい)まつり」のお囃子(おはやし)にちなんだ「布袋の太鼓」。白鳥神社の樹齢300年以上といわれる古木名木にちなんだ「蛇藤まんじゅう」や「けやきサブレ」、「いちょうの舞」。特産品の「そらまめ」をパウダー状にして餡に練り込んだ「そらまめくん」など、意欲的に新商品の開発に取り組んでいる。
「その他にも、特産の蕎麦やブランドとうもろこし『未来』を使った商品など、季節やイベントに合わせた村田町の“銘菓”を作りたいと考えています。また村田町のキャラクター『くらりん』を冠したパッケージデザインなども工夫したいと思います。」
村田町には、「布袋まつり」のほかにも、空き店舗や蔵を活用して80名以上の陶芸家が集結し作品を出品展示する「みやぎ村田蔵の陶器市」がある。毎年多くの来場者が県内外から村田町にやって来るという。そうした観光客向けにオリジナル商品を紹介して知ってもらい、リピーターを増やしたい考えだ。
「道の駅村田には月間約2,000人の来場者がありますし、蔵の町並みにも月200人程度の観光客が訪れます。それを考えれば、アピールできる商品を開発すれば勝算はあると思っています。」
しかし、強力な競合店が現れた。県内の有名な菓子店が、道の駅村田近くに出店するというのだ。
◆事業の飛躍
有名菓子店が村田町に出店。オリジナル商品の商標化で対応。
「驚愕とまではいきませんが、危機感を覚えましたね。それで、村田町商工会の赤間さんに相談しました。」
木村氏自身も村田町商工会の理事を務め、また元青年部の部長でもある。有名店の出店は、町全体の問題だと考えた。
相談を受けた村田町商工会の経営指導員である赤間利明氏は、木村屋菓子店が開発したオリジナル商品のブランド化を急ぐ必要があると感じ、商標登録を勧めた。しかし、商標登録申請は専門的な知識も必要であるため、宮城県よろず支援拠点のコーディネーターである田中宏司氏に協力を依頼、宮城県発明協会とも連携して木村屋菓子店への支援を開始した。
まずは、看板商品の「けやきサブレ」と「いちょうの舞」の商標登録に関して、発明協会へ調査を依頼したところ、「けやきサブレ」は一般名称の組み合わせであり文字商標での登録が難しいため、図形での登録が妥当との回答を得た。一方「いちょうの舞」は一般文字での登録が可能ではないかとの意見であった。現在は商標登録願が完成した段階で、今後、申請時期や費用対効果などを勘案して、次のステップへ進めていく方針だという。
「商品を商標登録するなんて、これまで考えてもみませんでした。商標登録自体の効果はこれからの話ですが、家族でこのことを話し合う機会が増えたことで、店の将来を考えるいいきっかけになりました。」と、木村氏は支援の効果を語っている。
これまでは、村田町の老舗菓子店として住民とともにあり続ければいいと考えていた。しかしこれからは、積極的に商品を開発してブランド化し拡販するという“攻め”の意識を持たなければ、事業の継続すら危ういことに気付いたということだろう。
◆今後の事業と課題
店を守ることは村田町を守ること、木村屋菓子店の将来を拓く。
「まずは、この店の経営を固めて販売を強化することが大切だと考えています。そのためには堅実に販路を拡げていくことが第一です。その次は生産能力を上げること。今は2名の職人で手いっぱいなので、包装作業の機械化などで対応できればいいと思っています。余力ができれば商品開発やパッケージデザインのアイデアも出てくると思います。」
村田町商工会や宮城県よろず支援拠点も、助成金制度などを活用しながら、木村屋菓子店への支援を続けていくとのことだ。
木村氏は菓子店経営の傍ら、「布袋まつり」の実行委員や、村田町の蔵を活用したまちづくりを推進するNPO法人「むらた蔵わらし」の理事を務め、村田町の活性化を進める若手のリーダー的存在だ。村田町を愛する所以だろう。
「村田町の文化や歴史を守っていくためには、村田町で商売を営む我々のような事業者が元気でなければならないと思います。『木村屋菓子店を守る』=『村田町を守る』ことでもあります。負けられません。」
「村田町に木村屋菓子店あり」と称される日も、遠くはないかもしれない。
事例3-4-9:有限会社ミタフーズ(群馬県桐生市)
(飲食業)
〈従業員5名、資本金500万円〉
「地元に愛される老舗の洋食レストランを3代目社長がリニューアル」「公的支援を活用しながら、飲食店経営で夢を実現する」
◆事業の背景
先代が築いた老舗レストラン、若い夫婦が承継を決断。
桐生市は、奈良時代から京都西陣織と並び称される絹織物の産地である。織物産業技術の集積が見られることから「織都(しょくと)」とも呼ばれ、戦後は和服文化の衰退や新興国の勢いに押されて織物産業は低迷していったが、現在でも歴史的建造物が各所に見られる。また、起業家精神が旺盛な地域でもあり、パチンコ産業や自動車部品産業において多くの優秀な起業家が輩出している。
現在の代表取締役社長である三田知弥氏の祖父も、同地で織物工場を創業したものの、織物産業の衰退により先代である父親が飲食業に業態を転換、この地に南欧風レストラン「ラべイユ」を開業し、現在では老舗の洋食レストランとして地元に愛されている。
一方、3代目である知弥氏は東京の大学へ進学していたが、家業がレストランということもあり、次第に料理に興味を持ち始めた。そして卒業後はイタリア料理店で修業を積んでいった。その後、27歳の時に桐生市に帰郷し、両親が経営する「ラベイユ」を手伝うことに。その2年後、かねてよりお付き合いしていた幸子さんと結婚し、事業を受け継いだ。
◆事業の転機
改善点が目に付く毎日、なんとかしたいもどかしさ。
「ラべイユ」は常連客が多く、それなりに集客はあったものの、新規客が増えないことから、来店客は伸び悩み、売上は徐々に減少していた。
「やはり、都心のセンスからすると内装やメニュー構成には少し違和感がありました。」と、横浜出身の幸子さんは振り返る。
料理の味と接客には問題はないはず。どこを改善すれば良いのか。
料理の価格帯は1,000円前後とリーズナブルではあるけれど、とにかく品数が多い。常連客は高齢の方が多く、新規客は女性や若者が中心のため、ことさらメニューが増えることになる。そうすると、昼夕食問わず全てのメニューに対応するため、来客が集中する時間帯では大忙し。逆にティータイムメニューが少ないため、ランチタイムからディナーの間は、来客が途絶える。
内外装にも問題が。まず、店が駐車場を挟んで道路から奥まっているため、表通りからレストランが目立たない。内装も、調度品が乱雑に配置されている感じで、来店した時に、せっかく広くとった店内に開放感がない。トイレも和式だ。
「改装しようにも、お金の問題がありました。何とかしたいけどできない。もどかしい気持ちでした。」と知弥氏は語る。
◆事業の飛躍
道路から目立つ看板をリニューアル、メニューも大々的に見直し。
「この老舗レストランを何とか支援したい」と立ち上がったのが桐生商工会議所の経営指導員である高橋勇紀氏。群馬県よろず支援拠点コーディネーターでデザイナーの古越直人氏の協力のもと、店舗の内外装を見直すことになった。
まず、道路側に看板を新設して店舗の存在をアピールした。それから、店舗内の調度品やテーブルはなるべく既存のものを活用し、配置を変えて来店客や従業員の導線を明確にするとともに、テーブルクロスをかけるなどで雰囲気作りを行い、天井の高い店内をより広く、くつろげる空間に変えていった。
内外装の改造の次はメニュー構成の見直しである。メニュー数が多く、文字ばかりの分かりづらかったメニュー表の構成を、写真付にすることにより選びやすくした。また、ランチはお得感のあるセットメニューを開発、ディナーでは手打ち麺やピザ、フォンデュなどのサイドメニューを増やし、一日のメニュー構成にもメリハリをつけた。そして目玉料理がなかったことから、売れ筋NO.1のメニュー「和風スライスステーキ」を目玉商品とした。
また、パーティー向けのセットメニューやウェディングメニューを開発し、映像を楽しめるようにプロジェクターも設置した。昨年は、2組の結婚式に対応したという。
「とはいっても、常連客も大切ですので、お昼でもランチメニューだけとはいきません。ご要望があればどのメニューにも対応してお食事をお出ししています。またお弁当の配達もやっています。両親ともども朝早くから仕込みをしてお昼までには届けます。1日最大で150食まで対応したこともあるのですが、男手が足りないので父に配達してもらっています。大変なのですが、お得意さまもいるので止められません。」
もともと定評のあった料理と接客の良さに加えて、お客さま目線のメニューや内外装の改善が奏功して、売上は以前に比べて20~30%アップしているという。
◆今後の事業と課題
まだまだ改善点はたくさんある。ラべイユに若い二人の夢を託す。
「ラべイユは改善が進んでいますが、挑戦はまだ途上です。」と、今年(平成28年)、代表取締役社長に就任した知弥氏は語る。
その一つが、トイレは未だに和式であること。これは今後、桐生商工会議所の支援で改装するそうだ。
それから、午後3時以降のティータイムメニューの開発。紅茶・コーヒーメニューの品揃えや、手作りのお菓子、ピザなどの軽食メニューの開発を目下模索中だ。
そして、売上の30%程度を占める仕出し弁当事業の位置づけも課題だ。別事業として成り立つ可能性もある。
「私は、お料理というより店舗経営に興味があります。だからこの一店舗からどのようにして事業を展開していけるか夢を感じています。」と幸子さんは将来への抱負を語ってくれた。以前アパレル店で店長として働いていた経験を活かし、現在は売上管理や分析、インテリアの変更を中心に進めているそうだ。
「店舗展開か事業の多角化か。今後考えないといけない重要なターニングポイントです。でも今は、この店舗をもっともっと地域の皆様に愛される店にしていくことが大切だと思っています。今年5月で30周年を迎えますので、手始めに何か企画を立てるつもりです。」と知弥氏は決意を話してくれた。
桐生商工会議所の高橋氏は、「地域発展のためにも、老舗レストランが元気であることは重要だと考えています。三田夫妻の人柄にも共感を覚えます。これからも店舗改善や財務分析、販路開拓などさまざまな助言を行うとともに、外部のアドバイザーを活用しながら支援を続けていきます。」と語っている。
桐生の地で夢を追う若い三田夫妻の挑戦は、まだまだ続きそうだ。
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