第2部 小規模事業者の挑戦 ―未来を拓く―

第4章 地域ぐるみで総力を挙げた支援体制の整備

地域ぐるみで総力を挙げた支援体制の整備の観点に立ち、本章では「経営指導員による支援の事例」、「よろずコーディネータによる支援の事例」の全10事例を紹介する。

第1節 経営指導員による支援の事例

本節では、商工会、商工会議所に所属する経営指導員における支援の取り組みと支援先の実例について下記の5事例を紹介する。

事例2-4-1 山形県出羽商工会(山形県鶴岡市)

 経営指導員 佐藤 里香 氏

【支援先の事例】 農事組合法人 庄内協同ファーム(山形県鶴岡市)

   代表理事 小野寺 喜作 氏

  〈農産物加工・販売業〉

事例2-4-2 八王子商工会議所中小企業相談所(東京都八王子市)

 経営指導員 山名 俊哉 氏

【支援先の事例】 合同会社 タカナワ香堂(東京都八王子市)

   代表 高縄 慶子 氏

  〈美容サロン経営・技術者養成・スキンケア化粧品、アロマ製品の製造・販売〉

事例2-4-3 岐阜県中津川北商工会(岐阜県中津川市)

 経営指導員 河村 文太 氏

【支援先の事例】 早川写真館(岐阜県中津川市)

   早川 正文 氏

  〈写真スタジオ、ラジコンヘリコプター空撮〉

事例2-4-4 坂出商工会議所(香川県坂出市)

 経営指導員 赤木 浩 氏

【支援先の事例】 有限会社 花工房(香川県坂出市)

   代表 泉 裕佳子 氏

    〈花屋、フラワーアレンジメント、インターネット販売〉

事例2-4-5 鹿児島県日置市商工会(鹿児島県日置市)

 事務局長 泊 敏行 氏

【支援先の事例】 ひる膳 多宝庵(鹿児島県日置市)

   店主 泊 みゆき 氏

  〈飲食サービス業〉

事例2-4-1:出羽商工会 経営指導員 佐藤里香氏
(山形県鶴岡市)

出羽商工会 経営指導員 佐藤里香氏(右端)

合併で東北一の面積をカバー。
会員数現象の歯止めに農業部会を設置。

出羽商工会は、平成20年に7つの商工会が合併してできた商工会で、海岸部から出羽三山まで包含しており、東北で最も広い面積を支援範囲としている。しかし、個人事業主の廃業が相次ぎ、商工業者数が減少し職員数も減っていく状況の中、よりきめ細かいサービスをどのように展開するかが課題となっている。

佐藤氏は、「合併当初の会員数は1,500者くらいあったが、今年の調査では100〜200者くらいは減少するだろう。農業従事者も取り込もうという活動は、会員数の維持のための取組でもある。」と語る。

出羽商工会では8項目を設置し、「会員との約束」として活動しており、その中でも経営者の「目的別研究会」の設置が特徴的である。特にビジネスチャンスをつかむ勉強会として平成22年7月に立ち上げた農業部会は「6次産業化」と「農商工連携」「マーケティング」「販路開拓」を通じ、戦略的な農業経営を推進することを目指している。差別化を図りながら自分で販路を開拓していきたいという農業法人をはじめ、行政、旅行代理店、マスコミ関係、農家レストラン、多くの農家を抱えた産直の経営者など約100名が参加した。

農業法人や産直事業者の中には、農産物の加工施設を持ち、ジュースや餅、漬物など製造して販売している事業者も多い。販売先を地域外に求めており、それゆえに新たな販路開拓や販売について学びたいといった希望を持っている。

山形県商工会連合会が東京駅八重洲北口に「やまがた家」というアンテナショップを出店した際には、農協の開発商品も販売するなど、商工会と農協とのつながりも出てきた。

専門家とのネットワークで支援。
ISOの食品部門の審査員資格を持つ職員が指導。

出羽商工会では、より高度で専門的な支援を行うため、弁護士や税理士、会計士、建築士、店内のディスプレイや新商品開発や展示会ブースデザインの専門家など、様々な分野の専門家とのネットワークを持ち企業のニーズにあった人材を紹介している。特にデザイン分野においては、その企業に合ったデザイナーを紹介するようにしている。

また出羽商工会には、ISOの食品部門の審査員資格を持った職員がおり、食品安全に関わる工場内の改善に関する専門的な指導をしている。昨今、食の安全性への関心が高まっているため、食品製造業界は常に改善が求められている。しかし、それによって求められる設備は企業にとって大きな負担となるため、出羽商工会では、その会社に適した実現可能性のある改善を提案するようにしている。

支援先の庄内協同ファームの場合は、餅の製造過程で使用する備品に、名前や数量を表示するなど使用間違いへの対策方法を指導した。また、手袋の色を白から水色へ変え、餅への異物混入対策を図った。さらに、取引先が検査に来る前に、明らかに改善した方が良いことは、事前にチェックしている。

小規模企業に焦点を当てた政策が始まる。
補助金活用をいち早くPR。

佐藤氏は、「支援制度が整ったことで小規模企業に光が当てられた。平成26年の法律施行後、出羽商工会では目的別研究会の一つとして『補助金活用研究会』を設け、『持続化補助金』をいち早くPRした。その結果、山形県全体で232件のうち出羽商工会では141件の会員企業が申請し83件が採択となった。補助金申請は初めてという小規模事業者に、丁寧な支援をした成果だと考えている。」と語っている。

支援先の事例:農事組合法人 庄内協同ファーム(山形県鶴岡市)

(農産物加工・販売業)

〈従業員5名、資本金2,930万円〉

代表理事 小野寺喜作氏

「若手農家のグループが時代を先取り」
「商工会のアドバイスで品質管理とデザイン向上」

◆事業の背景

若手農家7人が昔の農民の足跡に学びながら、
農事組合法人を設立。

今でこそ、農業者が法人を作って、6次産業化に取り組むことは珍しくはないが、20年前は変わり者扱いされたものであった。

庄内協同ファームは、平成元年2月に設立した農事組合法人で、農産物の生産・加工及び農産加工品の製造販売と農産物の検査業務を主な業務としている。平たく言えば、稲作を中心に、野菜、果物、漬物などの農産加工品を製造販売している複合経営である。

消費者にとっては「食の安全と健康」、農家にとっては「自然や環境との共生」を持続させることをコンセプトに、有機農産物を増やすための取組を進めている。

農家の冬場の出稼ぎや兼業化が進む中、鶴岡市、三川町、旧余目町、旧羽黒町の1市3町で農業を営む若手農家7人が、自分たちが農業を継続していけるのかを悩み、農業や農協のあるべき姿を考える「庄内農民レポート」という学習組織を昭和48年に立ち上げたのが、庄内協同ファームの始まりであった。「庄内農民レポート」とは、昔の農民が困難を克服した足跡に学ぼうと、地元の古老から聞き取りした記録のこと。7人のメンバーは昭和53年に自らの経営のあり方を見直し、消費者団体や生協などとの交流、産直取引を始め、昭和62年には三川町に小さな餅加工場を建設し、平成元年に組合員25人で農事組合法人 庄内協同ファームを設立した。

◆事業の転機

首都圏の生協との出会いで安全・安心に注力。
産直ネットワーク拡大も、コメの消費減少に苦しむ。

「庄内農民レポート」の議論の中で、農家が東京に出稼ぎに行かなくてもすむように、餅の加工に取り組もうということになった。加工食品としては、「丸もち」「切もち」「ひしもち」等の餅類と、「だだちゃ豆」や「枝豆」等の「豆類」、「黄粉・米粉」「麦茶」「おこし」「あられ」などの菓子類や漬物等があり、主に県外に販売している。菓子類、漬物等については、農家が自家で作ってパッケージングまで行っており、当時から、原料にこだわり素材を生かした商品作りに取り組んでいたという。

平成11年には、社内に「認証委員会(現生産履歴監査委員会)」及び「環境委員会(現安心農産物生産委員会)」を設置し、翌2000年には県内でもいち早く「有機JAS認定(有機農産物及び有機加工食品の認定・表示)」を取得するとともに、第三者機関による認証システムである「環境マネジメントシステム」を導入。この背景には、昭和53年に始まった首都圏の生協との産直取引があった。

当時は、表示の規制がないまま「有機」や「オーガニック」を謳った商品が数多く流通し、消費者は商品選択に迷っていた。そこで、生協を通じた消費者との交流を重ね、食の安全性や環境に対する関心が高いことを知り、化学肥料や化学農薬を用いない有機農業に転換していった。

首都圏の生協との有機米取引の増加に伴い、「JA庄内たがわ」と共同で「庄内産直ネットワーク」を設立し、事業の拡大につなげていった。全国的にみれば、コメの消費は減少傾向であり、売上は必ずしも好調なわけではないが、庄内協同ファームは水稲栽培を中心とした日本の食文化を守るという考え方を貫いており、消費者からも支持されている。

だだちゃ豆生産者
麦茶「麦ちゃん」

◆事業の飛躍

商工会の農林部会に参加。
品質管理の向上と販路開拓。

我が国では、食生活の変化などにより米離れが進んでいるため、経営努力をしなければ売上が減少することは避けられない。そこで、新たな市場に打って出なければならないということで、設備投資のために資金的な面で商工会に相談した。その際に、商工会内に農業部会が設置され商品開発や販路開拓などについて研究会が発足すると聞き、参加することにした。一昨年からは、農家のこだわりの表現やシリーズ商品の統一的なパッケージなどのデザインに関するアドバイスを受けている。また、商品パッケージの開発で若干の資金的な支援を受けた。

また、品質管理についてのアドバイスも受けており、大企業並みではないが一定の品質水準を保っている。

販売に関しては、都内に複数店舗を構えるこだわりのスーパーを紹介してもらい、一昨年から本格的な取引につながっている。

代表理事である小野寺喜作氏は、「見本市への出展は、ビッグサイトに数回出たことはあるが、出展料などの負担が大きいことと、類似する商品も多いことで自社の商品が埋没してしまうので、昨年は商工会が主催し東京駅で開催された山形県の物産展に出品した。」と語っていた。

地域への貢献という意味では、商品が冬場の餅加工なので、秋口から冬場における作業員として雇用の確保にもつながっている。

有機栽培つや姫白米

◆今後の事業展開と課題

取組のPRを図るとともに、
身の丈に合った事業に取り組みたい。

農産物の栽培に取り組み始めた頃は、有機栽培に対する地元の理解不足があったが、当初よりは互いに配慮しながら、地域で共生するようになってきている。

だが、後継者の確保は大きな課題だ。集落の中でも先進的な取組をしてきた農家を引き継ぐことになり、また、米離れの流れの中での事業展開でもあるため、難しい面もあるようだ。

輸出に関しては制度が整わないとできないし、海外からの観光客は安定的とは思われない面もあるため、当面は取り組む予定はない。また、製造業という立場から、個人向けのネット販売の体制も整っていない。

小野寺氏は、「今後は、新商品の開発は簡単ではないので、基本的には現在の取組を拡充し、身の丈に合った事業に取り組んでいきたい。」と話している。

庄内協同ファームの社屋

事例2-4-2:八王子商工会議所 中小企業相談所
経営指導員 山名俊哉氏(東京都八王子市)

八王子商工会議所 経営指導員 山名俊哉氏

商工業のまち「八王子」で起業家支援に取り組む。
親身に相談に応ずることを信条に。

八王子商工会議所の会員数は、約3,700社。地元の老舗企業や支店、市内で起業した小規模事業者などで構成されている。経営相談所課長で経営指導員の山名俊哉氏は、温厚な人柄で、相談に訪れた人の話をじっくりと聞き、決して自分から話を終わらせない。今回取材したタカナワ香堂の高縄代表も、事業相談のときは不安を抱えて八王子商工会議所を訪れたのだが、「相談窓口で接してくれた担当が山名さんで本当によかった」と語っている。

一方、山名氏も高縄氏の話を聞いて、「この調子で本当に起業できるのかと大変心配になり、放っておけない気持ちだった。」と語る。

支援機関の場合、相談者の話をまず聞くことから始まるのだが、職員は多くの業務を抱えているためになかなか時間をかけて相談に対応することが難しい。それでも山名氏は、支援先の企業訪問を優先し、相手の立場に立って親身に相談に応じることを信条としている。

山名氏は、若手の職員に対しても、このような態度で相談に訪れた人に応対するよう所内で話をしているという。

経営指導に専門家のノウハウを活用する。
切れ目のない支援がお互いの信頼感に。

タカナワ香堂に対する支援は、起業のイロハからの支援となった。その内容は、事業計画の策定、さらにはサロン事業の集客や商品の販路開拓などの実務的な支援まで多岐にわたる。多忙な業務を抱え、支援先の個々の経営課題を現場で指導することは難しい。そこで、個別の経営指導は、公的な補助事業を活用し、専門家を派遣する支援を行うことにした。

中小企業診断士の資格をもつ「経営コンサルタント」が、定期的にタカナワ香堂を訪問し指導を行うことにはなったが、専門家派遣事業は指導のステップごとに切れ目がある。山名氏は支援メニューをうまくつなぎ、同じ専門家の指導が受けられるようにした。指導を受ける立場からは、同じ指導者から継続した支援が受けられることがベストといえる。山名氏のそうした配慮が、高縄氏からの大きな信頼感を得るゆえんとなっている。

多様な地域メディアとの人脈を活用。
地元商店の販路拡大や顧客獲得を支援。

小売をはじめ飲食、サービスといった一般消費者向けの事業者にとって最大の関心事は、販路拡大と顧客獲得である。山名氏は、商工会議所の会報はもとより、CATVや地元の新聞などの地元メディアを活用し成果を上げている。さまざまな人脈や紹介チャネルを駆使して記事に取り上げてもらうことで小規模事業者を積極的にPRしている。そうしたPRの効果は、事業者の知名度アップや視聴者からの商品問合せの増加などに表れている。

タカナワ香堂の場合も山名氏が商工会議所の会報の取材をしたことで、同社の事業や商品内容への理解が深まり、その後の経営指導や事業支援に大いに役立ったという。

山名氏は、「自分が支援をすることで、その小規模事業者が元気になり、仕事が進むことが喜びです。どのお店も開店後順調で、お客さんで盛況なのを見ると、とても嬉しくなります。」そして、「この仕事は目立たずに地味なものだが、自分が関わった事業者が発展することが、この仕事の醍醐味ですね。」と支援への思いを語っている。

「せっかくの支援策も、必要とする人に伝わらないと意味がない。支援機関の仕事は、支援を必要とする人たちに必要な情報を、必要なタイミングで提供することです。」。そして、「相談者とのコミュニケーションをより密にし、普段から様々な情報を集め、総合的な支援体制を構築したいと常々思っています。」と、山名氏は最後にそう締めくくった。

支援先の事例:合同会社タカナワ香堂(東京都八王子市)

(美容サロン経営・技術者養成・スキンケア化粧品、
アロマ製品の製造・販売)

〈従業員1名、資本金50万円〉

代表 高縄慶子氏

「経営コンサルタントによる専門家支援」
「事業計画を策定し、個人事業から脱却」

◆事業の背景

自分の好きなことを仕事にする。
八王子郊外の住宅地で自宅兼サロンをスタート。

自分の好きなことが仕事になる、誰もが望むこと。実現できたら本当に幸せなことだ。自分で選んだ道だから、がむしゃらに前進することができる。

東京都八王子市で総合美容サロンを営む合同会社タカナワ香堂の代表である高縄慶子氏は、長年培った美容技術を活かし、自分の好きな美容で事業を興した。大手化粧品メーカーの美容部員であったが、美容全体の勉強のできる自由な時間がとれる仕事につきたいと、スキンケア関連企業に転職。結婚・出産を経て職場に復帰したものの、子どもを抱えての仕事に限界を感じ退職した。それでも育児をしながら好きなことを続けたいと、自宅の一室の小さなスペースを美容の施術室にして、玄関前に小さな黒板を出して美容サロンを開いた。近所の人たちがさっそく興味を覚え、顧客となってくれた。こうして平成23年5月に、八王子郊外の住宅地の自宅兼サロン(1号店)がスタートした。

ビューティーサロン

◆事業の転機

駅前にセラピストスクールのための2号店を開店。
専門資格を武器とし、研修事業をコアビジネスに。

高縄氏は、美容サロン事業と並行して、安全なアロマ商品やスキンケア化粧品を自分で作り、癒し効果のあるスパトリートメント施術で提供したいと考え、開発に着手した。また、美容技術を教えることが好きな高縄氏は、スクール形式の研修事業を開始した。そして、1号店だけでは手狭となり、平成26年5月にセラピスト向けの研修スクールの運営を目的に「2号店」を八王子駅近くに構えた。

高縄氏の美容室には安定したファンが定期的に来店し、重要な収入源となっている。高縄氏の施術は、インドに伝わる「アーユルヴェーダ」の考え方に基づくもので、すべて自分の「手」で行うことにこだわる。「担当が順繰りに変わる流れ作業のような施術は来てくださるお客様に失礼にあたる」と考え、少ないお客様に自分だけで施術することにしている。こうした自分が目指す美容術のすそ野を広げたいと、美容サロン向けに施術研修を行うことにした。

現在、美容サロンのオーナーや開業希望者を対象に実践的なセラピスト育成ための「セラピストスクール」を運営している。高縄氏自身も、公益社団法人日本アロマ環境協会から認定されたインストラクター資格と、「アロマテラピーアドバイザー」養成教室の認定を取得した。また、CIDESCOという世界的なエステティック団体の国際ライセンス認定やインドのアーユルヴェーダ普及協会のアドバイザー、中国漢方ライフアドバイザーなどの資格も取得した。これらの資格と卓越した施術が人づてで評判となり、全国から研修生が集まっている。また、同社が開発した商品を紹介する「ウエルカム・セミナー」も積極的に開催している。

こうした研修やセミナーの集客、自社商品販売には、参加したサロン経営者たちで作る「タカナワ会」という応援団ともいえる人的ネットワークが役立っているという。

「Ojas」商品シリーズ

◆事業の飛躍

信頼できる相談先が事業の道標に。
経営コンサルタントが継続的に経営を指導。

高縄氏は、これまで会社設立や経営の経験がなく、平成23年4月に美容サロンを事業化する際にも、何もわからずに八王子商工会議所に出向き、開業相談を持ちかけた。その時に窓口対応したのが中小企業相談所の山名俊哉課長。「本来は、税務署にいくような相談。本当に開業にこぎつけられるか心配だった」と振り返る。その後、税務申告も済ませ無事に開業、平成26年5月には合同会社として法人化した。山名氏は商工会議所の広報担当も兼務していることから、美容サロンの紹介記事を自分で取材し会報に掲載、支援の関係が深まった。その後、同社は八王子商工会議所の会員となっている。高縄氏は「信頼できる相談相手として商工会議所をいつも頼りにしている。」と話している。

高縄氏の相談は多岐にわたる。アロマ商品やスキンケア化粧品の開発の際も山名氏に相談を持ちかけ、商品化のため資金調達で助言を受けた。また、事業計画の策定やマーケティングについても継続して支援を受けている。

中小企業診断士の資格を持つ経営コンサルタントが月1回、2時間指導する「アシストプログラム」で、商品拡販やマーケティングの支援や指導を、その後も継続して、事業計画を策定するための10回連続の指導を経営管理担当の夫と2人で受けている。併せてインターネットを活用した商品販売やエステティックサロンの予約受付などでも実践的な指導を受け、サロン予約の効率化や拡大でその成果が表れてきている。高縄氏は、経営コンサルタントの指導で指摘された「スピード力」と「発信力」を大事にしたいとのこと。特に「発信力」については、夫の協力も得てインターネットを利用した情報発信に努めている。

山名経営指導員との打ち合わせの様子

◆今後の事業展開と課題

自社商品の拡販にITを有効活用。
リピートセールスがカギ。

代表自らの「手」による施術がサービスの基本のため、今以上の事業規模拡大は望めない。そこで高縄氏は商品を開発・販売するメーカーとして事業を拡張したいと、事業展開策を練っている。また、今後さらに商品の売上を増やすために、研修やセミナーで全国各地に出向き、自社商品の紹介や美容技術の普及に努めることが必要だと高縄氏は考える。美容技術を普及させるには実地での研修が有効だが、商品の紹介には必ずしも対面である必要はない。インターネット(スカイプ電話)の利用や動画サイトなどIT活用を視野に検討している。

同社のアロマ商品や化粧品の拡販には、リピートセールスがカギとなる。高縄氏は商品に自信を持っており、「商品の良さをお客様に理解してもらえれば定期購入につながるはず。」と語っていた。

今後も「タカナワ会」のネットワークをさらに拡大することで、リピート顧客を増やしていく予定だ。

事例2-4-3:中津川北商工会 付知支所担当 経営指導員
河村文太氏(岐阜県中津川市)

中津川北商工会 経営指導員 河村文太氏

後継者確保問題に取り組む。
地区の約360会員の支援・指導を担当。

中津川市は、岐阜県の東濃地区にあり丘陵地が多い。市の北側に位置する中津川北商工会は、付知町の本所のほかに5つの支所がある。経営指導員は6名の体制で、会員企業約1,100社(者)が抱える税務や労務をはじめ、経営全般の困りごと相談を担当している。

その中で、付知地区を担当している経営指導員が河村文太氏。河村氏は、隣の下呂商工会が最初の勤務地で、4年前の平成22年に中津川北商工会に赴任した。今では、約360会員の支援・指導を担当しており、日々の相談対応や様々な経営支援を行っているという。

付知地区(旧付知町)には、「付知銀座通り」という商店街があり、かつては商店や旅館がならぶ賑やかな町並みがあった。現在は往年の面影は薄れ店舗がまばらな状態で、高齢となった事業主の後継問題も深刻化し、商工会として優先度の高い課題となっている。

河村氏は、会員に対して万遍なく支援をしたいが、限られたマンパワーを活かすためには、どうしてもやる気がみえる会員を優先せざるを得ないという。会員各社の日々の動きをつかみ、経営に役立つ情報や公的支援の情報を提供するようにしているが、「普段から経営者の考え方や事業の動向を知っていないとタイムリーな情報提供になりません。」と反省を込めて話している。

若手後継者の地域づくり活動を支援。
研修会をきっかけに若手グループ結成。

会員の相談ニーズは後継者問題にあるといっても、そこにはさまざまな課題や対応策がある。そこで商工会では、「経営革新塾 後継者育成コース」を平成22年11月に開催。新事業や新市場・新商品の開発さらには下請脱却を目指す地域の若手人材や後継者を対象に実施した。

その塾に、日ごろから経営革新や新事業に意欲のある付知地区の若手が集まり、一緒に学ぶことで自然に参加者同士の共通意識が生まれた。経営革新塾の修了後には、「地域を元気にしたい」と新たな若手グループができた。今回支援先として紹介した早川写真館の早川正文氏もメンバーの一人となり、地元の付知銀座通りの活性化を目指した「付知GINZA会」を立ち上げた。

そして、その活動を商工会が全面的に応援することになった。

担当の河村氏は、まずメンバーに地域づくりとは何かということを理解してもらいたいと考え、5日間にわたる勉強会を開催。「勉強会を通じて、地域の発展には個店の発展が欠かせないということを伝えたかった。」と当時の思いを語る。その後、個別にヒアリングによる経営診断を行い、事業計画の策定といった経営指導を行った。河村氏の精力的な支援が若手後継者のやる気に火をつけ、付知GINZA会の活動は、より積極的になっていった。

その後も付知GINZA会は、月1,2回集まり地域づくりのための企画に取り組んだ。河村氏も積極的に企画に参加し、さらに公的な資金補助の取得も支援した。こうして、はじめての地域づくりプロジェクトとなった「付知GINZAマルシェ」という賑わいイベントの開催にこぎつけた。支援先の早川氏もイベントマップやチラシ作成のほか、写真展の開催などを担当したという。

「付知GINZA 会」のメンバー

会員支援の新しいツール。
SNSを活用しタイムリーな情報発信。

商工会として1,000者を超える会員すべてに、手厚い支援や情報提供を行うことには限界がある。そこで、まずはこまめな情報発信が大事とSNSに着目。河村氏もメンバーの一人となって、商工会のFacebookや商工会スタッフによるブログを開設し、会員や地域向けに商工会のニュースから地域の話題まで幅広い情報を提供している。

河村氏は、「双方向メディアのSNSを活用して、日ごろ足りないコミュニケーションを補いたい。」と、新しい会員支援ツールの可能性に期待を寄せている。

支援先の事例:早川写真館(岐阜県中津川市)

(写真スタジオ、ラジコンヘリコプター空撮)

〈従業員0名〉

空撮担当 早川正文氏

「プロの写真技術を模型ヘリコプターの空撮に活かす」
「本業の写真館と新事業の空撮ビジネスをベストミックス」

◆事業の背景

家業の写真館はじり貧で危機感を抱く。
地元のつながりが新ビジネスのチャンスに。

早川写真館は、岐阜県の東濃地区の長野県との県境に近い山間部の集落にあり、昭和23年の創業。嫡男の早川正文氏は3代目にあたる。現在は、父と二人で家業として営んでいる。早川氏は大学で経理の勉強をしたが、自分はその道には向かないと思い、卒業後は、地元恵那の写真館で3年半にわたって写真技術を学び、平成12年からは家業の写真館を手伝っていた。

写真館のビジネスは、デジタル化の趨勢やデジタルカメラの普及で大きく様変わりした。これまでの写真現像やプリントサービスの売上はほとんどなくなり、スタジオ撮影や出張撮影、卒業写真やアルバム制作などに売上の中心は移行、家業はじり貧の状態となっていた。そこで、早川氏は、何とかして時代の変化を取り入れた新しい事業の柱を作ろうと考えた。

そうした時、ひとつの転機が訪れた。早川氏は、以前から地元のラジコンクラブに参加し、模型の飛行機を飛ばすのを趣味にしていた。ある時、クラブのメンバーから模型のヘリコプターを譲ってもらったのをきっかけに、模型のヘリコプターの操縦に興味をもつ。そして、空中で同じ位置に留まって飛行するホバリング技術を習得した。模型ヘリコプターの操縦をはじめて2年が経った頃、地元のお寺の空撮写真を撮って欲しいとの依頼が舞い込んだ。これが、ビジネスとして空撮を行ったはじめての仕事となった。

空撮の様子
空撮写真(付知町の遠景)

◆事業の転機

趣味が仕事に直結。
これこそが最大のモチベーション。

その後も地元ラジコンクラブに参加し、模型ヘリコプターの所有台数も増えた。現在、大型・小型のタイプと、マルチローターの3機種をそれぞれ3台ずつ揃えている。そして、操縦技術を習得し、着々と空撮ビジネスのためのノウハウや実績を蓄積していった。

模型ヘリコプターの価格はピンからキリまであるが、空撮に使うものは1台10〜20万円程度。比較的手ごろな価格だが、ビジネスに使うためには機材の調整に手間をかける必要がある。

模型ヘリコプターのホバリングは技術的に難しく、空中で安定した状態で写真撮影を行うには経験がものをいう。操縦ミスは墜落事故を招き、時として人的な被害や機材の損傷というリスクが伴う。早川氏は、「ここ7年くらいは墜落による機材の損傷事故は起こしていない。」と、操縦技術や安全確保に自信を見せている。近年、「ドローン」という自立飛行できる飛行体が話題になっているが、「自分としては、模型ヘリコプターを目視で無線操縦する空撮にこだわりたい」という。

「写真館として、土日はスタジオ撮影や結婚式の撮影を行い、比較的時間のとれる平日に空撮を行うことで、売上全体の増加につながっている。」と、早川氏は空撮ビジネスに取り組んでいることのメリットを語っている。

◆事業の飛躍

簡易な機材と最小限のスタッフで対応。
空撮ビジネスに価格競争力で挑戦。

建物や施設の竣工写真などでは、高い場所からの撮影が必要になるが、これまで山間地域に立地する施設の撮影は、山に登ったりする必要があるため、転倒などの危険を伴うこともある。そうした撮影には、空撮は安全で広い視界が確保できるメリットがある。

模型ヘリコプターによる空撮をはじめて10年くらいになるが、当初は知名度も低く、専門会社の空撮ではないことから、空撮の依頼は少なかった。そこで、「簡易な機材を利用しスタッフも1人で空撮することで、価格競争力を持ちたい」と、業界の一般的料金である1回10万円の3割〜5割程度で料金を設定した。

一般的に、空撮会社は空撮したデータをそのままメディアで提供するようなスタイルをとることが多い。早川氏は、写真技術を駆使して、写真や映像の編集はもとより、パネルの制作、印刷物の制作なども受注し、トータルなサービスとして提供している。そうした付加価値の高いビジネスにすることで、安価な空撮料金を実現している。

早川写真館の空撮事業は、これまで年間20〜30件の受注で推移してきたが、ここにきて大きく受注が伸びており、今年は50〜60件程度と倍増を見込んでいるという。

その背景には、地元の中津川北商工会による若手後継者支援の取組がある。商工会は、地域が抱える経営課題である後継者難に対応するために、研修セミナーや勉強会などを開催している。早川写真館の地区でも平成22年に着任した経営指導員の河村文太氏が、個店の支援に乗り出した。さっそく早川写真館など商工会会員の個店へのヒアリングを行い、経営診断や事業計画作成の支援を半年くらいかけて実施した。

早川氏は、河村氏の経営指導を毎月定期的に受け、事業計画の策定や展示会への出展、商工会の広報誌での紹介など、多方面で支援を受けた。そして、平成25年1月には、岐阜県の事業である「経営革新計画」の承認を受けることができた。

「県が応援する事業者となり、一気に知名度と信用力の向上につながった。これも事業計画の策定や承認申請などで、身近な相談役としての河村氏の支援があったからこそできた。」と、早川氏は当時を振り返る。

また、空撮は写真撮影に留まらず、5〜6年前から映像撮影も行っている。ホテルのプロモーションビデオの撮影や映像プロダクションの依頼による空撮などがきっかけでスタートし、現在は、件数で2割、売上で5割を占めるまで仕事が増えているという。

こうした空撮ビジネスの成功の背景には、地元の中津川北商工会の支援、とりわけ河村氏の力が大きいと早川氏は語っている。

◆今後の事業展開と課題

空撮ビジネスで本業の写真館を元気に。
さらにコンテンツビジネスにも挑戦。

課題は、模型ヘリコプターによる空撮は、そもそも市場も狭く、知名度がまだまだ低いこと。そこで、空撮は車に資材を積んで移動可能なことから、フットワークよく岐阜県、愛知県、三重県、長野県へと営業エリアを拡大している。

一方、「ドローン」の登場で、空撮が話題になることが多くなり、注目度が高まる中、どういう営業を行うかも課題。

「営業のポイントは、“手ごろな価格”で“プロの写真家”が“模型ヘリコプターで空撮”することにあるんです」と、早川氏は語る。

空撮による売上自体は、市場規模からみてそれほど大きくは期待できない。「むしろ本業の写真事業にどうフィードバックするかが本当の課題。」と、早川氏は考えている。

空撮で写真館の知名度を上げること。本業の写真撮影の依頼につなげる。空撮の写真や映像に「撮影・早川写真館」のクレジットを記載し、より多くの人に早川写真館を知ってもらうこと。そして、売上や付加価値を高めために、空撮とデータ編集、パネル作成、印刷などを1つのパッケージ商品にすること。

「写真家としての技術力を示すために一級写真技能士、一級婚礼写真士の資格を強みにしていきます。」と、若手後継者として大いにその思い語っていた。

将来は、空撮で撮り貯めた景観や建物などの写真や映像をコンテンツ商品として、ネットで国内外に販売していきたいと、今後の空撮ビジネスにかける早川氏の夢は広がっている。

河村経営指導員と模型ヘリの前で

事例2-4-4:坂出商工会議所 経営指導員 赤木 浩氏
(香川県坂出市)

坂出商工会議所 経営指導員 赤木 浩氏

若い頃にリゾート開発事業を経験。
民間出身の目線で企業をプロデュース。

坂出商工会議所の経営指導員である赤木浩氏は、実は瀬戸内対岸の岡山県の出身。大学卒業後に車のセールスやゴルフ場跡地のリゾート開発などを手掛けていた。「若い頃は自ら重機を動かして事業開発に打ち込んでいました。」その後、バブル経済が崩壊しリゾート開発も頓挫、28歳の時に妻の出身地であった坂出市に移住し商工会議所の職員となった。「民間企業にいた時の習慣というのでしょうか、支援先とお話をしているといろいろなことが見えてくるんです。」例えば、商品が売れない店舗では陳列方法を変える、専門店の販売が落ちれば中古販売やリペア事業にも挑戦する、来店客が減れば営業販売やネット販売を勧めるなどなど。今回の事例である「花工房」への支援も、そんな経験からのアドバイスだったようだ。

市内の金融機関や支援組織と密接に連携。
総合的なプロデュースが地域を元気にする。

同商工会議所の経営指導員は現在4名、会員数は約1,200。いち早く「伴走ランナー型支援」を取り入れ、年間約700件の相談をこなしながら、企業の真のニーズは何か、何がボトルネックとなっているのか、どのような処方箋を必要としているのかを話しの中から読み取り、最適なソリューションを提案するように努力している。また、商工会議所の強みである支援組織のネットワークを活かして、専門機関・専門家への橋渡しを行っている。

例えば金融支援では、市中の銀行や公庫と密接な連携を行い、最適化した支援計画の基で、起業資金の融資や運転資金の調達などを提案し、金融機関との折衝などを丁寧に支援している。税務や労務に関しても、税務署や税理士会と連携をとり、記帳指導や事務代行、申告書作成の補助なども行っている。また、税金の大切さを伝えるために、税務署とのタイアップにより租税教室を開いている。

「企業を総合的にプロデュースすることが大切です。そして企業を必ず再生させることで、地域の元気につながって行くと確信しています。」と、赤木氏は信念を語ってくれた。

地域の再生は人と人との交流から。
坂出市の可能性を信じて前進。

一方、地域ならではの課題も少なくない。少子高齢化、低い若者のUターン率、後継者問題。起業に関する相談が少ないことも気になるという。

「後継者が新たな起業で事業を再生することも十分可能だと考えています。しかし『若者に自分の苦労をさせたくない』との事業主のご意見が多いのも事実です。」

赤木氏は、地域全体で支えあうことの重要性を感じている。これまでも、様々な業種、業態、規模の企業支援に携わってきたが、地元の利害調整に手間取ることもしばしばである。「やはり地元の人と人とが触れ合って、お互いに励まし合い活性化していくことが大切です。その意味で、商工会議所青年部(YEG)はじめ、坂出の街を愛し活性化しようとする若い人たちの活躍に、大いに期待しています。」と、希望を語ってくれた。

支援先の事例:有限会社 花工房(香川県坂出市)

(花屋、フラワーアレンジメント、インターネット販売)

〈従業員0名、資本金300万円〉

代表 泉 裕佳子氏

「自営業の家系に生まれ、いつのまにかフラワーショップを起業」
「花に対するブレない気持ちがネットで伝わり全国に販路が拡大」

◆事業背景

自然体で挑戦したフラワーショップの起業。
景気の波にも乗って経営は順調に推移。

有限会社「花工房」の代表である泉裕佳子氏は、真言宗開祖空海が開いた善通寺のある香川県善通寺市の生まれ。その後二十歳の頃に坂出市へ転居した。代々自営業の家系で育ちながらも、会社勤めを続けて結婚、出産、子育てと、ごく普通の生活を送っていた。しかし自営業の血統だからなのだろうか、何か自分自身で事業をやりたくなり、平成9年からフラワーアレンジメントの学校に通い始める。そして、28歳になった平成12年10月に意を決して事業を起こした。坂出商工会議所の経営指導員である赤木浩氏と出会ったのもこの頃である。

起業するにあたっては、不動産業を営んでいた母親の会社を承継した上で、社名や定款を変更してフラワーショップ「花工房」の経営者となった。開業資金は坂出商工会議所の創業支援などを受けながら、金融機関から1,000万円近い借入を起こしたという。やはり自営業の家系なのだろうか、初めての起業としては度胸がいいと思うのだが。「起業するにあたっては、専門家の支援を受けながら綿密に事業計画を練りましたから、あまり怖さはなかったですね。」と意に介さない。「でも立ち上げの3年間お客様がついてくれるまではしんどかった。それからは少しずつ軌道に乗りました。」

起業翌年の平成13年には米国で同時多発テロ事件が起こったものの、当時はITバブルの余韻もあり、景気は安定していた時期でもあった。

5年後の平成17年頃には、年商も1,000万円を超え、泉氏のフラワーショップ立ち上げは成功、いわゆる創業期の「死の谷」を渡り切ったといえる。翌平成18年、国内は「いざなぎ景気」を抜いて戦後最長の5年にわたる景気拡大基調となっていた。

◆事業の転機

世界的金融危機で景気が後退。
「花工房」が不況の大波に呑まれる。

景気は安定、「花工房」の業績も順調。しかし平成18年には国内においてライブドア事件により株式市場が低迷。少し景気の雲行きが怪しくなっていた。そして平成19年に米国のサブプライムローン問題が発覚、世界金融危機の幕開けである。翌平成20年には米国リーマンブラザーズ社が経営破綻し、世界的な景気後退時代へと突入した。信用不安が金融市場の収縮をまねき資金の流動性が失われ、市場に「金が回らない」ことで国内の企業活動も委縮し業績も低迷していく。その影響は坂出市の「花工房」にも押し寄せた。売上はじりじりと減り始め、開業10年目の平成22年頃には、年商も最盛期の半分近くにまで落ち込んでいた。「とにかく売れないんです。お客を探すにも、どこに行けば見つかるのか。」

「花工房」は、それまでは地元のお客を相手にしている普通の花屋だった。泉氏は地元志向だけでは乗り切れないと思うものの営業の経験がなく立往生。そこで市内外の結婚式場や葬儀場、展示場などの開拓を始めた。また、人脈を広げるために坂出商工会議所の会員交流会などに参加し、そこで知り会えた会員から仕事が貰えるようになり、少しずつ売上を確保していった。そして転機となったのが平成23年に参加した坂出商工会議所主催のFacebookとtwitter活用セミナー。

「もともとIT音痴だったんですが、可能性があるようなので、見よう見まねで利用を始めました。」

坂出商工会議所の赤木氏は、「坂出市内だけでは市場規模に限界があるので、早くからFacebookやTwitterなどのSNS利用を会員に勧めていました。」と語っている。

泉氏はPCに向かって格闘すること3か月、やっとのことでネット上にフラワーガーデン「花工房」を立ち上げた。この2店舗目ともいえる仮想ショップが「花工房」を大きく飛躍させることになる。

「花工房」公式サイト・泉氏のブログサイト

◆事業の飛躍

“泉”の人間性が“花”を創る。
花へのブレない気持ちがネットを駆ける。

花工房のネット戦略は大きく二つ。一つは泉氏自身のツイートサイト、もう一つは「花工房」の公式サイト。泉氏の考えはこうだ。ネットショップで単に花を売るのであれば、どこも似たり寄ったり。お客様に「花工房」のお花だから欲しいと思ってもらいたい。そのためには“泉”の人間性をまず好きになってもらうのが先決。そして「この人がアレンジするお花を買いたい」となるのだろう。

「それには自分のお花に対するブレない気持ちを素直に伝えていくことが大切なんです。お花を単に売るのではなくお客様の気持ちを形にして表現するんです。」例えば、ネットから「友達のライブに花を贈りたい。」とメッセージが入れば、贈る相手方のイメージを聞いて、それを膨らませて商品を製作。作品の画像を注文主に確認してもらい、気に入っていただければ配送の手配をする。販売した商品はFacebookに投稿。

「信頼関係で成り立つ取引なので、裏切らないようにお花の鮮度にも気を使っています。」振込先はメールのやり取りで知らせるものの、「振込は商品の発送前でも後でも一切気になりません。」と言う。今まで14年間で未回収はゼロ!!お客との信頼の絆は強い。

いつの間にかIT音痴がIT活用の達人に。まさに経営のイノベーションが起こっている。

また、平成23年後半からは商工会議所青年部の活動にも参加。「自分が坂出市出身でないからか、最初は『よそ者』とみられているようでした。」坂出市は古くは塩田が広がり利権も大きく、いまだに閉鎖的な地域ともいわれる。しかし現在では、商工会議所青年部入会2年目にして、駅前で毎月開催している「楽市楽座」の委員長に抜擢された。その後には幹事、来年は副会長へと活発に活動している。「メンバー達と地域のことを真剣に考え、活性化したいと思う気持ちで活動しています。」と泉氏は語っている。

こうして「花工房」の業績は大きく回復し、最盛期を超えて成長は止まらない。

◆今後の事業展開と課題

目標は「花工房」のブランド化。
そして「泉裕佳子」のブランド化。

昨年からは、地元のブライダル関係の仕事をさせて貰えるようになったという。「新婦様より『ブーケが大変きれいでした』とか、新郎新婦様から『会場のお花がイメージどおりで有難うございました』などと、お礼の言葉がFacebookにコメントされると、本当に嬉しいです。」と笑顔で語った。

これからどう展開しますか?「ネット販売が7割を超えてますから店舗は拡大の必要はありません。これからは高品質で満足度が高い『花工房』のブランド化を目指します。結果的には『泉裕佳子』のブランド化でもあるんです。」

将来は娘さんには継がせないのですか?「娘は卒業後にネイルアーティストを目指しているようなので、その必要もないでしょう。」やはり自営業の血筋は続いているようだ。

景気の荒波に翻弄されながらも、自ら経営にイノベーションを起こし「ダーウィンの海」を生き抜いてゆく姿は、瀬戸内の穏やかさに映えて、実に頼もしく見えた。

結婚式向けに製作したブーケ

事例2-4-5:日置市商工会 事務局長 泊 敏行氏
(鹿児島県日置市)

日置市商工会 事務局長 泊 敏行氏

県内各地の過疎地勤務を経験。
日置市商工会も存続の危機に。

鹿児島県は鹿児島市を除けば半島部や離島など辺地が多い。そのため、県内の商工会の経営指導員はすべて鹿児島県商工会連合会に所属し、広域経営指導員として各地の商工会に出向する仕組みとなっている。日置市商工会の事務局長である泊敏行氏も、そんな一人であった。大学を卒業後、福岡県で税理士の事務代行業務を請負う会社に3年間勤めた後、商工会の職員となり、県内各地を経営指導員として飛び回った。現在は連合会を定年退職し、郷里の日置市商工会で事務局長の職にある。

「私も商工会に在籍中は、県内のいろいろなところに転勤しました。過疎化が進む中で、産業振興の難しさを痛感していました。」と泊氏は当時を振り返る。

日置市においても過疎化は深刻な問題となっている。昭和40年代から人口は半減し高齢化が進む。平成19年の合併時には1,000を超えていた会員数も現在では900を切っている。会員脱退理由の9割が廃業。このままでは商工会の存続すら危ぶまれ、会員の確保が急務となっている。そのためには、人が働く場所を創出すること、地域外から人を呼び込む事業を立ち上げることが必要である。

妻が古民家を活用して驚きの創業。
そして古民家ネットワークが立ち上がった。

泊氏の実家は日置市吹上町にある。吹上町のほとんどは山間地域、で主な産業といえば、さつまいもと焼酎、それと地元産の野菜や果物。しかし古くは薩摩焼発祥の地であり、温泉や古民家も点在する。そんな過疎の地で、古民家を利用した“ひる膳「多宝庵」”を立ち上げたのが、妻のみゆきさんだ。「妻にそんな才能があるとは考えてもみませんでしたね。」みゆきさんは、泊氏の手を借りずに、ほとんど自分の力で事業を立ち上げたという。「このことで、吹上にも事業資源があるんだと気づいたんです。工夫次第で地元で創業するチャンスがあるんだと。」日置市商工会は、地域内資金循環事業を活用して、地域の古民家ネットワークの構築に乗り出した。

潜在的な地域資源を掘り起こし、
田舎を逆手に「儲かる地域づくり」。

日置市には古民家を活用したレストランやカフェ、名産品販売店、雑貨屋、焼物屋、ガラス細工工房などが多数ある。みゆきさんが多宝庵を立ち上げる際、手作り雑貨店、陶器店、飲食店などに開店の挨拶をしたところ、「お買いものに来られた方から食事ができるところを尋ねられ、ご案内したいけどお店を知らなくて困っているのよ。」との声を聞いたことがきっかけで、各お店にパンフレットを置き、お客様をご案内する古民家ネットワークが始まった。

それからは、事業者の方々が定期的に集まって情報交換したり、お互いの作品を自分の店舗に展示するなど、地域のコミュニティが形成されているという。

日置市商工会はこの活動を支援するために、平成27年1月には「ひおき古民家遊楽里(ゆらり)めぐり」というリ−フレットを作成し、広報活動を開始。現在ではロ−カルテレビ番組や新聞雑誌に取り上げられ、鹿児島市内をはじめ指宿、霧島、鹿屋、出水、さつま川内など県内外から来客が増えている。「古民家店舗のネットワーク化によって、お客様が地域を周遊し、お金を落としてくれます。また自分もやってみようと考える住民の新規創業も期待できます。その結果、商工会の新規会員の増加につながるはずです。」と泊氏は目を輝かせた。

地域を再生したいという泊氏の長年の願いが、生まれ育った日置の地で実りつつあるようだ。

「ひおき古民家 遊楽里(ゆらり)めぐり」リーフレット

支援先の事例:ひる膳 多宝庵(鹿児島県日置市)

(飲食サービス業)

〈従業員0名〉

店主 泊 みゆき氏

「“ゆら〜り”とした“くつろぎ”空間で心づくしのおもてなし」
「時代をみつめてきた古民家での手料理が“幸せ”を呼ぶ」

◆事業の背景

過疎地に住む両親の介護がきっかけ。
古民家の再生に向けた新たな決意。

鹿児島県日置市吹上町は、薩摩半島の中央部にあり、東は鹿児島市と接し、西は日本一長い吹上浜の砂浜が東シナ海を望む。吹上町の大半は山間部。江戸時代には郷士の里でもあった。郷士とは、普段は農業を営んでいる在郷の武士。日置の郷士たちは、江戸末期に官軍として遠く会津戦争に遠征するも、明治になっては西南戦争で賊軍として敗走した数奇な人たちでもあった。

吹上町には、街道沿いにその郷士たちの武家屋敷が点在している。ひる膳「多宝庵」の店主である泊みゆき氏の嫁ぎ先もそのひとつ。小ぶりではあるが、150年の時を刻んだ屋敷はどっしりとした趣がある。昭和の時代にはこのような古民家が全国各所に残っていたものだが。

彼女の人生の転機は、2年前に義理の姉が亡くなり一人暮らしになった90歳の義理の兄と同居することから始まった。年老いた兄が快適に過ごせるように、母屋横の小屋を解体し、その場所にバリアフリ−住宅を新築。しかし残った古民家を今後どうするか、家族で迷った。見事な梁や柱など二度と手に入れられない材木、先人の大工仕事の技など、子孫に伝えていきたかった。その結果リフォ-ムという大きな決断をした。それならば、この古民家を多くの方々に見ていただきたい。食べ歩きが好きだった彼女が次に考えたのが、古民家を飲食店舗に改装するという発想である。

古民家の持ち味である古さを残し、少しだけ新しさも加え、それを彩る雑貨であったり、器や音楽、素朴な家庭料理など、「見て・聴いて・味わう」空間の癒しを添えたおもてなしを、この古民家で実現できるのではないかと考え、飲食店舗としてリフォ−ムすることにした。

これからはパートの仕事を辞め、介護だけの生活を送るつもりでいたという彼女。しかしそれだけでの人生はさみしくもあり、介護しながらでも何かやれることがあればという思いが、古民家を再利用した、「ひる膳 多宝庵」の創業へとつながった。

古民家・多宝庵テーブルを配した店内

◆事業の転機

いよいよ古民家の大改造。
そして第二の人生ステージが完成。

方針が決まってから開店までが大変である。

築150年、手入れを怠っていた屋敷は床が傾き、床下の土台から補強しなければならなかった。それから外壁を補修し黒色に塗装を施すことで、外観は威厳ある武家屋敷に蘇った。

内装は来客がゆったりと時間を過す大事な空間。これには泊氏自身が手作りの建築模型を作って検証しながら案を練った。広い空間を演出するために襖を外し、障子紙はすべてはがして所々に発泡スチロールに古布を張り付けたパーツをはめ込み、アクセントをつけた。また畳は一部を取り払いフローリング仕上げとした。それから天井板も外し太い梁をむき出しにすることで、古民家ならではの風格と空間を醸し出している。もともとあった囲炉裏も移動させ、改築で出た廃材を使って囲みテーブルを製作、落ち着いた民芸調の部屋となった。そして室内は全席テーブルとイス席とし、暖炉を配置、内装は完成する。

並行して飲食店経営の準備も進めた。商工会の協力を得て創業支援制度を活用しながら、個人事業者として登録するとともに飲食店としての開業の許可申請を行った。きっと、普通の主婦にとって、これだけの準備を整えるには大変な苦労があったのではないだろうか。しかし、これは終わりではなくて、幕開けに過ぎない。

◆事業の飛躍

地元産品にこだわった“おもてなし”。
ゆったりとした時空を求めて人が集う。

出来上がった古民家店舗の名称は、「古民家でおもてなし ひる膳 多宝庵」。

明治初期まで吹上に存在し今は廃寺となっている臨済宗の多宝寺が由来だ。「この家も、お客様も、地域の方々も、家族も宝物です。多くの宝が幸せになる場所であって欲しいとの思いを込めて『多宝庵』と決めました。」と泊氏は言う。

「多宝庵」での泊氏のコンセプトは、地元産。お米や野菜は地元吹上産を使う。また吹上には窯元があり、お店では地元陶芸家の器も使用している。「私は器と会話しながら盛り付けを考えます。お客様にも、お一人おひとり違う器をお出しするので、お互いに見比べながらまた話が弾むんです。」と泊氏は細かい気づかいを語ってくれた。

とはいえ、泊氏は飲食業については素人。ホテルの料理長に試食してもらい、彩りや味付けなど工夫する点など数回アドバイスを受けた。

そしていよいよ平成26年5月に開店。朝4時に厨房に入り仕込みを始める。11時半に営業を開始。最初の来客は屋敷の改造を興味津々で見ていた近所の人たちであった。評判は上々。それが口コミで広がり2か月後には満席状態に。当初20食限定で始めた「ひる膳」を40食に増やし、パートも3名体制で対応するも、満席状態は続いた。客層はほとんどが年配の女性。その半分は、リピ−タ−として再来店しているという。

「『最初はお友達と来て、母を連れて来て、今度は娘を連れて来ました』『この間友人に連れて来てもらって、すごく良かったので私も友達を連れて来ました』『父や母、祖父母を連れて来ました』などと、まるでご自分のお店のように自慢してくださり、ありがたい気持ちでいっぱいになります。」と泊氏は楽しそうに語った。

成功の要因はなんだろう。料理の細やかな気づかい、店内の装飾が醸し出す安心感、縁側のガラス越しに見える山村の風景、それらが一体となって、ゆったりとした時間の流れを演出しているということだろう。来客者のほとんどが2時間程度くつろいでいることからも居心地の良さがわかる。

「この雰囲気は大切にしたいですね。音楽も最初はジャズかなって思ったんですけど、結局ボサノバのゆったり感が合ってるんですよ。」泊氏のきめ細かさには脱帽だ。

月替わりの「ひる膳」

◆今後の事業展開と課題

時を想い、時を味わう、隠れの里。
人を「幸せ」にし、人が「幸せ」に集まる。

畳敷きの座敷は年配者が多いため不評なのでテーブル席に改良した。厨房が狭いなど古民家ならではの悩みもある。また、「営業時間を延長して」「夜も営業して欲しい」「貸切で使いたい」などの要望も多い。現在の営業は、木・金・土・日のお昼時11時半から14時まで40食限定。「ひとりで切り盛りするのは今が限界。両親の介護もあって夜の営業は無理ですね。」と泊氏は少し思案顔である。「しばらくはこのままで様子をみるつもりです。これからのことはどうしましょうね。」泊氏の将来もまた、ゆったりと流れていくようだ。

ひる膳「多宝庵」。時を想い、時を味わう、隠れの里。キャッチそのものの空間が多くの人たちを誘い、人が集い、話し、そして新しい何かが生まれる。都市部にはないコミュニティのあり方がここにはある。きっと行きつく先はみんなが幸福感を味わうことなのだろう。幸福な場所には、きっと人が集まってくるはず。過疎化する地方の再生にもつながる気がする。

「幸せの創業」南九州の柔らかな風を受けながら、ふとそんな言葉が頭をよぎった。

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