第2章 新陳代謝の促進
新陳代謝の促進の観点に立ち、本章では「起業・創業に成功した事例」、「農商工連携や産学官連携により製品開発に取り組んでいる事例」、「異業種転換や新事業展開により販路開拓に取り組んでいる事例」の全10事例を紹介する。
第1節 起業・創業に成功した事例
本節では独創的な発想に基づくサービスや地域の特産品を活用した商品によって起業・創業した小規模事業者について下記の4事例を紹介する。
事例2-2-1 合同会社西谷/たびすけ(青森県弘前市)
業務執行社員 西谷 雷佐 氏
〈旅行業〉
事例2-2-2 株式会社ウエルシーライフラボ(栃木県宇都宮市)
代表取締役 佐藤 香苗 氏
〈化粧品製造業、化粧品販売業〉
事例2-2-3 萬金堂(東京都青梅市)
代表 今野 宏江 氏
〈タイカレーの移動販売業〉
事例2-2-4 南一栄税理士事務所(石川県小松市)
税理士 南 一栄 氏
〈税理士事務所〉
事例2-2-1:合同会社 西谷/たびすけ(青森県弘前市)
(旅行業)
〈従業員4名、資本金420万円〉
「大手旅行会社がやりたくてもできないチャレンジで
起業した旅行会社の目標、それは“地域活性”」
◆事業の背景
弘前を着地型観光で盛り上げる切り札、
地元の“当たり前”を観光コンテンツに。
私たちが旅行会社を利用する場合、交通チケットやホテルの手配を依頼したり、すべてのスケジュール管理を添乗員におまかせするパッケージツアーに申し込んだりする。どちらの旅行も基本は旅行者の居住地が起点になっており、こういう観光を“発地型” 観光という。一方、海外旅行で体験することが多いが、到着後、ツアーデスクなどに依頼し、地元スタッフのアテンドで観光やさまざまなアクティビティを体験するタイプの観光は“着地型” 観光というカテゴリーに区分されている。
青森県の県庁所在地・青森から特急で約35分、りんごや桜、“ねぷた”などで知られる弘前市に、この着地型観光に特化することで、全国の自治体や大手旅行会社からも注目される旅行会社がある。それが、西谷雷佐代表が率いる『たびすけ』だ。同社の大きな特徴は二つ。一つはもちろん、日本の旅行会社には珍しい着地型観光で大手旅行会社と差別化している点。しかも、すでに知られているような名所旧跡を案内するだけではない。たとえば、りんご狩りの季節は何もしなくても多くの観光客が訪れるが、同社は、りんご狩りができない季節にあえて、りんごに関連したツアーを実施する。農家でりんごの樹の剪定をお手伝いしながら、切れ味鋭いノコギリの話を聞いたり、剪定のノウハウを聞いたりするのだ。ほかにも、雪かき体験、「鳥居に鬼がいる神社」を巡る旅、ご当地アイスを食べるツアー、街のスナックをはしごするツアーなど……。タイトルだけでわくわくするようなオリジナルコンテンツを次々に開発し、全国の観光客の目を弘前に向けさせることに成功している。
「日常的な暮らしとか、弘前独特のニッチな文化とか。私はそういうもののなかにこそ面白さがあるという視点で観光コンテンツを考えています。たとえば、弘前には『干支を祀った神社や寺』がいくつかありますが、地元の人は当たり前すぎてつまらないと思っている、でも、弘前以外の方々をお連れするとみなさん興味津々。『初めて見た!』と。弘前には、ほかの地域からいらっしゃった方に興味を持っていただけるものが、桜や“ねぷた”以外にも実はたくさん眠っている。」
◆事業の転機
車いす、言語、情報……、さまざまな“バリア”を越えて、旅を、そして人生を楽しんでもらいたい。
そして、同社を語る上で欠かせないのが、バリアフリーだ。西谷氏は高校時代にホームステイを通してアメリカに魅せられ、アメリカの大学に進学。そこで、車いすで生活する同級生と出会う。彼はバスケットボール好きの西谷氏と同じコートでバスケットボールに興じ、週末は一緒にバーにも出かけた。そして、それを周囲の同級生も街の人々も特別なことと捉えていないことに西谷氏は少なからずカルチャーショックを受けたという。
大学卒業後、弘前、とりわけ生まれ育った土手町に愛着を持つ西谷氏は地元に戻り、旅行会社に入社する。ここで、自身の道標となる決定的な体験をすることになる。
オーストラリアツアーに添乗したとき、ゴールドコーストの夕日を眺めていた70歳ぐらいの女性が突然、涙を流し始めたのだ。理由をたずねる西谷氏に女性は「寝たきりの主人を家に残して旅行に来た。背負ってでも連れてきて、この素晴らしい景色を主人にも見せたかった」と、悔やんだのだという。このとき、西谷氏は思った。 「アメリカでは車いす生活でも、充実した暮らしを送る人がたくさんいる。でも、日本には体が不自由だという理由で、したいことをしたいと言えない人がいる。それなら僕が背負えばいいじゃないか。」と。
この体験は同社のもう一つの特徴、バリアフリー旅行に生かされた。介護資格を持つ社員を揃え、移動に車いすが必要な方やご高齢の方の旅行のサポートはもちろん、外出支援サービスなどを行うのだ。車いす利用者が感じるバリアのほかにも、外国人が感じる言葉のバリア。旅先の知識がない方の情報のバリア。それらを取り払うバリアフリーと、オリジナリティ豊かな発着型観光のコンテンツを融合したサービスを提供する旅行会社。それが『たびすけ』なのだ。
◆事業の飛躍
起業のきっかけはYEGビジネスプランコンテスト。
プレゼン一つで人生が変わった!
全国的に見ても、ユニークなコンセプトを持つ旅行会社『たびすけ』の誕生は平成24年4月。きっかけはその1年前に開催された、日本商工会議所青年部主催のYEGビジネスプランコンテストだった。このコンテストは、全国の青年部メンバーが新たなビジネスチャンス創出につながるプランを競うもので、当時、ちょっとした巡り合わせで弘前商工会議所に所属していた西谷氏は、平成21年度に愛媛で開催されたこのコンテストを見る機会を得た。そして、全国から集まった同世代の青年部メンバーのプレゼンテーションに大きな感銘を受ける。
「アメリカに渡った頃から、漠然と自分でビジネスをやりたいとは思ってはいましたが、それがなかなか見つけられない。ちょっと日常に流されかけていたころ、愛媛で見たコンテストは衝撃でした。『プレゼン一つで人生は変えられる!』と。」
次年度のチャレンジを誓った西谷氏は1年がかりでプランを練り、平成22年度第8回のコンテストにエントリーする。自身の地元愛を具現化する着地型観光とバリアフリーを組み合わせた「安心して旅行できる街、命に寄り添う街、弘前」というプランを発表し、見事にグランプリを獲得。同社を起業する決意を固めた。ついに“やりたいこと”を見つけた瞬間だ。
◆今後の事業展開と課題
“人が動く”観光は地元を潤すだけではなく、
地域の根本的な課題を克服する力になれる。
起業から3年を迎える今年度。西谷氏は、また新たな試みをスタートさせようとしている。それが、“ねぷた”をコアに据えた移住・定住促進型ツアー企画だ。“ねぷた”を見るだけのツアーは数あるが、同社は地元に密着した旅行会社だけに“ねぷた”に観光客を参加させるだけでなく、祭りの終わりにはともに“ねぷた”を担いだ人々と酒を酌み交わす交流までをアテンドする。それに加え、今度は“ねぷた”を製作する段階から観光客を参加させる計画を練っている。弘前に長期滞在し、夜は地元の人々とともに“ねぷた”を作り、ときには“ねぷた”の準備をする“ねぷた小屋”に地元の人々とともに泊まる。そんなコミュニティ参加型ともいえるツアーだ。
「多くの地方都市と同様、この地域の課題として大きいのが人口減少です。こういったツアーでコミュニティに参加していただくことで、もしかすると出会いがあって、結婚して、弘前に住む方も増えるかもしれない。弘前の仲間ができたお客さんが観光リピーターになり、交流人口が増えていくかもしれない。普通、旅行会社はこんなことは考えませんが、私はこういう試みを地域の課題を解決する突破口にしたいと考えています。」
その言葉どおり、旅行会社はチケットやホテル手配で稼ぐ、という固定概念に西谷氏はとらわれず、大手旅行会社には難しい旅行企画立案のほか、コンサルティングやワークショップによる周辺市町村の観光資源開発、地元の大学での講演を通した観光人材の育成なども手がける。すべては、観光を通して地域を活性化するという目標のためだ。
地元愛、旅の喜び、そしてバリアフリー。こういった自分の“気づき”を大事に温め、大きく飛躍した西谷氏の旅は、まだまだ終わらない。目標に一歩ずつ近づくために。
事例2-2-2:株式会社ウエルシーライフラボ
(栃木県宇都宮市)
(化粧品製造業、化粧品販売業)
〈従業員2名、資本金300万円〉
「肌トラブルに悩む人々の救世主」
「女性起業家の視点で、栃木の魅力を発信」
◆事業の背景
肌に合った化粧水がないなら作ればいい。
肌トラブルを抱えた主婦による自家製化粧水。
現在、日本の成人女性におけるアトピー性皮膚炎の患者数は500万人といわれており、日本アトピー協会によれば、日本人の3分の1が、肌が弱いか、敏感肌などで悩んでいるという。そして、その大多数が自分に合う化粧品を見つけることができず、とても苦悩している。栃木県宇都宮市の株式会社ウエルシーライフラボの代表取締役・佐藤香苗氏も、そのなかの1人であり、その悩みこそが起業のきっかけだった。
「今から10年ほど前、出産を機に体質が変わり、敏感肌になってしまいました。以来、ネットなどで自分の肌に合う化粧品を探しましたが、なかなか見つかりませんでした。敏感肌には防腐剤や界面活性剤といった添加物が大敵です。ところが、商品の表記に『防腐剤不使用』と書かれていても、実際には微量の防腐剤が混入していたり、薬事法では防腐剤のカテゴリーには入らない防腐剤成分が入っていたりする。敏感肌の場合、そうした微量の防腐剤にも反応してしまいます。結局、既存の化粧品で自分に合うものは見つけられませんでした。」
当時は専業主婦だった佐藤氏。これまで、住宅メーカーと情報システム会社に勤務経験はあったが、薬学に関してはまったくの素人だった。それでも、肌の悩みを解決したいと、自宅のキッチンで自家製化粧水の製作に取り組んだ。
◆事業の転機
「悩みと苦しみから解放されました」
そんな声に後押しされ商品化を決意。
日本に数ある化粧品メーカーは、なぜ、防腐剤未使用の化粧品を作らないのか。
「防腐剤や界面活性剤を一切使わない化粧品の開発には、膨大な資金と時間が必要です。それに加えて、防腐剤を入れないということは、化粧品が腐りやすくなるというデメリットも生じます。ひとたび品質の低下したものを販売し問題が発覚してしまうと、ブランドイメージに傷がつき、引いては会社全体の経営にも影響を及ぼしてしまうのです。つまりは、本当の“防腐剤無添加”は、化粧品メーカーにとってリスクが高く、手を出しにくい分野なのです。」
そんな背景のなか、佐藤氏は地元の特産品である納豆に含まれている成分が肌に良いことに着目。そこから有効成分を抽出し、5年以上試行錯誤し、自らの肌に合った化粧水を完成させた。すると、同じように敏感肌に悩んでいた周囲の人々から「その化粧水を分けてほしい」という声が集まり始めたのだ。化粧水の輪は次第に広がり、やがて佐藤氏のもとには、「この化粧水を使って、長年続いた苦しみから解放されました。ありがとう」という手紙が何通も寄せられたという。
「自分と同じ悩みを持った人があまりに多いことに驚きました。そして、みなさんの切実な声を聞くうちに、『同じ苦しみを味わった人たちの力になりたい』と、化粧水の商品化を決意しました。」
◆事業の飛躍
使用前に2液をブレンドする。
とっぴなアイデアから生み出した自信作。
商品化に当たり、最大の問題が“防腐剤無添加”だった。佐藤氏は、当時、化粧品会社の研究所に勤務するご主人に相談しながら、自らの肌を実験台に「腐るとはどういうことか」について考えた。その考えを食品分野にまで広げると、防腐剤を使わない保存食品(梅干しなど)があることや、腐りやすい食品は冷蔵庫で保存していることに気づいた。その結果、化粧水を濃縮液と水に分けてパッケージし、その二つをユーザーが使う直前に一つにブレンドする手法を思いついた。また、化粧品の品質を維持するため、一度ブレンドしたものは冷蔵庫で保存し、2週間で使い切るという手法を取り入れた。こうして生まれたのが『ベジリア ブレンドローション』だ。
発売前のモニター調査では、保湿効果が実感でき、踵や脛、肘などのひび割れがなくなったという報告だけでなく、美白、シミ、しわなどが減った人もいたという。販路はネット販売に限定することで中間マージンをカット、製造からユーザーの手に渡るまでの時間の短縮にもつながった。
「アトピーや敏感肌の人たちに一度でもこのローションを使っていただけたら、みなさんがリピーターとなってくれる確信がありました。現在、敏感肌の市場は800億円といわれており、潜在的な市場はもっと大きいと考えています。このローションなら新たな市場の掘り起しも可能であると思っています。」
商品に自信を持った佐藤氏は起業を決意。宇都宮市の起業家セミナーに通い、中小企業診断士のもとを訪れ、起業のノウハウを1年間勉強した。また、県薬務課に何度も足を運び、薬事法上の許可(化粧品製造業、および化粧品製造販売)申請を行った。初期投資を抑えるため、会社登記、薬事法上の許可申請、ホームページの作成、商品デザインなどは自社で行い、あらゆる経費を削減した。自己資金に加え、平成24年度地域需要創造型企業・創業補足事業の採択、地元の地銀、日本政策金融公庫からの融資を受け、平成25年5月10日、株式会社ウエルシーライフラボが誕生。そして、手作り化粧水から9年の歳月を経て、ついにその年の12月に商品化に成功した。現在は、ご主人も化粧品会社を退職し、同社のテクニカルアドバイザーに就任。技術面のサポートだけでなく、それまではなかなか理解されなかった女性ならではの感性を、論理的に“翻訳”する役割も担っている。こうしてお互いを補い合う関係が機能することで、新しいビジネススタイルを確立している。
◆今後の事業展開と課題
郷土愛が生んだ第二弾商品。
「鹿沼土」を使った泡洗顔料。
起業のきっかけこそ「肌に悩みを抱えている人を助けたい」という思いだったが、佐藤氏にはもう一つ、会社の設立に掛ける熱い思いがあった。
「私は生まれも育ちも宇都宮で、昔から慣れ親しんだこの街が大好きです。でも、東日本大震災で負ったダメージはいまだに尾を引いており、特に農作物への風評被害などは深刻です。震災後、3年間は人もモノも流れてきましたが、3年を過ぎると、少しずつ忘れられていくのを実感しています。このままではいけない、何としても栃木を元気にしたい。そのためにも、私たちはこの会社を通して栃木の特産物に関連したモノづくりを行い、全国にアピールしていきたいと思っています。」
そんな思いから、“地元の特産品を用い、お土産にもなる化粧品”を商品開発コンセプトとした“スーベニアコスメ”というブランドを立ち上げた。その開発商品の第一弾が平成25年8月に発売したスーベニアコスメ『マカロンクレイ泡洗顔料』だ。これは、栃木の特産品の園芸用土『鹿沼土』を配合した洗顔料で、潤いを残しながら余分な汚れだけを落とし、洗顔後もつっぱらないのが特徴。洋菓子のマカロンを模したかわいらしいパッケージは、『栃木県優良デザイン商品(Tマーク商品)』にも選ばれた。県内の道の駅や旅館、栃木県のアンテナショップで販売しており、まさに地元の特産品に付加価値を付けた、女性に喜ばれること確実のお土産品だ。地元の皮膚科医にも認められ、平成27年には化粧水とともにOEMの依頼を受けている。
「化粧品については、メーカーや病院などを対象にOEM事業を中心に行っていきます。また、化粧品以外にもインターネット事業(360度パノラマバーチャル機能を付与したホームページの作成)をはじめ、地元の素材、施設など、ジャンルに縛られることなく、栃木の魅力を日本中に、そして世界へ発信していきたいと思います。」
栃木という土地を愛し、復興を願う気持ちと、女性ならではの視点が会社の原動力。女性起業家が描く真の復興を、見届けて行きたい。
事例2-2-3:萬金堂(東京都青梅市)
(タイカレーの移動販売業)
〈従業員0名、資本金150万円〉
「子育てと仕事を両立するために、挑戦したのは、
移動販売車による飲食業」
◆事業の背景
自分で時間をコントロールしたかったから、
新しい仕事では“自由度”を重視。
フルタイムで働く女性が出産をした場合、「仕事と子育て」のバランスに悩むというのはよくある話だ。システムとしては保育園という受け皿が存在するので、一応は夫婦がフルタイムで働いても、子育てに支障はないことになっている。しかし親の勤務時間中に子どもが発熱をすることもあれば、急な残業で夫婦のどちらが子どものお迎えに行くかで揉めたりもする。米軍横田基地の会計部署で10年間勤務してきた今野宏江氏も、初めて子どもを授かった際、生後6か月で保育園に預け、職場に復帰。その後、しばらくして大きな悩みを抱えることになった。
「私が保育園にお迎えに行っても『この人、誰?』という顔で私を見て、にこりともしない。保育士さんにはかわいい笑顔を見せているのに。そんな毎日が続くうち、『あれ? 私、母親として子どもを1日10時間も他人に預けていていいのかな』と、疑問を持ったんです。もし、お迎えに行ったとき、子どもが笑顔を見せてくれていたら、私は今も横田基地で仕事を続けていたかもしれません。」
このターニングポイントで今野氏は基地の仕事を辞め、新しい仕事に就くことを決意する。重視したのは、“自由度の高さ”だ。たとえば、どんなに育児に理解のある職場であっても、人に使われる限り、勤務時間には拘束される。今野氏は自分の休みは自分で決めて、自分の時間は自分でコントロールする仕事を考え、その結果たどりついたのが移動販売車を使った飲食業だ。そもそも、当初から飲食業は頭にあったが、店舗での開業は選ばなかった。
「子どもとの時間を作りたくて始める仕事ですから、ランチに限定しようと考えていました。そうなると、店舗を借りるのはお金がもったいないじゃないですか。それに店舗で営業するとお店に縛られるでしょうし、それでは基地に勤めていたときと変わりませんから。その点、移動販売でしたら、自宅で仕込んで、さっとランチ時間に売り切って、さっと帰る。販売時間をランチ時間に限定すれば、子どもを保育園に預ける時間も短くてすみますしね。」
◆事業の転機
心打たれたタイカレーで初の飲食店に挑戦。
完売が続き、いつしかお客さんの口癖は「まだ、ある?」
そんなさまざまな思いを乗せて、移動販売車を利用したタイカレー屋『萬金堂』は平成18年の春に走り出した。自宅から数分の場所に位置する、街道沿いの土地を借り、11時から12時ごろまでが営業時間。メニューは日替わりカレーが一つだけで、その日用意した数(30食?50食)が売り切れれば終了だ。開業当初は5種類のタイカレーを日替わりで提供していた。ここで気になるのが、「なぜ、タイカレー」なのか、ということ。地域的には都会とは言い難く、エスニック料理が好まれるような土地柄には思えない。実はそこには、今野氏の食に対する譲れない哲学がある。それは「自分が心から美味しいと思ったものは、人に食べてもらいたい。」ということ。
「横田基地では職員が退職するときや、国に帰るときなど、必ず、料理を持ち寄ってパーティーを開きます。職員の国籍はフィリピン、中国、カナダ、アメリカ、タイ、日本……、と多彩で、いろんな国の家庭料理をごちそうになりました。そのなかで私はタイの『チキングリーンカレー』に出会います。ハートというか、胃袋を貫かれた感じですね。それで、『こんなに美味しいカレーは、みんなに食べさせてあげたい』と勝手に思い込んじゃったんですね。」
今野氏にとって、衝撃的な体験は何年も忘れられず、「飲食店を始める」と決めたとき、タイカレーを選んだのは当然の成り行きだったのだ。
もちろん、本場のタイカレーそのままでは、辛さも香りも日本人の味覚にぴったりとはいえない。そこで、タイカレーを教えてくれたタイ人の友人に相談しながら、日本人が楽しめる味に調整していった。そのかいあって、オープニングではあっという間に売り切れ。10年たった今も、ほとんど1時間で売り切れるほどの人気を維持している。
◆事業の飛躍
リーマンショック、そして円安方向への推移。
材料費の高騰をしのいだ方法は意外な発想。
滑り出しは好調で、息子さんとの時間も取り戻せた。しかし、商売には良いときもあれば悪いときもあるのが常だ。日本中の飲食店が苦境に立たされたリーマンショック。多くの食材が値上がりし、ほとんどの飲食店は材料費を削り、量を減らし、味を落としながら苦境に対処した。それは円安方向への推移で輸入食材が高騰している今も同じだ。しかし、今野氏は通常では考えられない方法で不況に挑んだ。
「私は逆発想でしたね。セットのドリンクは外させてもらって、カレーはあえて高い材料を使って、もっと美味しくしてしまう。お客さんも景気が悪いのは知っているから、ドリンクがないのは納得してくれて、なかには水筒持参で来てくれる人もいました。でも、カレーの味は落ちていない。むしろ美味しくなっている。今のお客さん、特に年配の方はとても舌が肥えているので、味は絶対落とせないですね。そんなふうに常連さんの信用を失わないように努力しました。」
これが今野氏が守る、二つ目の食の哲学、「自分が美味しくないと思うものは、人に食べさせない」ということだ。こう書くと、頑固なレストランのシェフのようにも見えてしまうが、柔軟さも今野氏の持ち味で、お客さんから、「タイカレーも美味しいけど、ほかのカレーも食べてみたい」というリクエストが出れば、カツカレーやハンバーグカレーなども日替わりメニューに登場する。ただし、常に意識しているのは今野氏が美味しいと思うものを、安全で良質な材料で作ることだ。
加えて、今野氏がもう一つ、お客さまへの接し方で大切にしていることがある。それは、移動販売車の加工業者さんに教えられた「人は人を見て買う。」という言葉だ。たとえば、お年寄りには「気をつけて帰ってね」と声をかけ、自転車のお客さまの商品は包装を二重にする。味さえ良ければ商売はうまくいくわけではないことを胆に命じているからこそ、常連客は景気に左右されず、『萬金堂』を訪れるのだろう。「まだ、ある?」の合い言葉とともに。
◆今後の事業展開と課題
10年単位の人生設計を見直す年。
大きく飛躍するか、新しい楽しみを見つけるか。
今野氏が萬金堂を始めるきっかけとなった、息子さんは今ではもう12歳。学校が正午前に終わったときは、自宅へ向かう途中で営業する今野氏のもとへ、笑顔で駆け寄ってくるそうだ。そんなとき今野氏はつくづく「お店を始める決断をして良かった」と感じるそうだ。
息子さんとのいい関係づくり、そして『萬金堂』の成功と、ひとまず目標を達成した今野氏。今年は次の展開を考えるタイミングだと言う。
「私、10年単位でいろいろ変化してきているんです。横田基地での10年、『萬金堂』での10年。次の10年をどうするか、今、いろいろと考えています。たとえば、ここは人にまかせて、ほかのところにもう一店舗出すか、こういう移動販売車を増やしていくのか、あるいは半年ぐらい充電して、まったく違うことにトライするか。今の景気を見ながらですが、次の10年も楽しめるものにしたいですね。」
事例2-2-4:南一栄税理士事務所(石川県小松市)
(税理士事務所)
〈従業員2名〉
ずっと夢に描いてきた独立開業を実現」
「税務・会計・経営計画の面から経営者の成功をサポート」
◆事業の背景
新卒で入社した会社がきっかけで
税理士になることを決意。
個人事業主をはじめとした小規模事業者のなかには、日々の業務に追われて経理は二の次、悪く言えば“どんぶり勘定”的な経営者もいる。また、決算や確定申告の直前に1年分の経理をまとめて整理する経営者も少なくない。たしかに、帳簿をきちんと付けたり、税務関係の書類を作成するのは、慣れていないと時間がかかるし、面倒だ。平成23年8月に開業したばかりの税理士、南一栄氏は、そんな“面倒なこと”を相談にくる経営者を笑顔で迎え入れる。しかし、もともと彼も経理や税務に興味があったわけではなく、税理士になったのは前職がきっかけだったいう。
「地元、石川県の大学を卒業して、輪島市にある建設会社に就職しました。そのとき、たまたま配属されたのが総務部で、会社の経理をまかせられたのです。数字に特別強いわけでもなく、税理士事務所の職員にいろいろ聞きながら毎日数字と向き合ううちに、会計の面白さにひかれていきました。それに趣味というか、資格を取るのが好きで、大学在学中に宅建(宅地建物取引主任資格)や行政書士の資格も取っていました。だから、日々の仕事を通じて、税理士の資格に興味がわいていったのだと思います。」
税理士になりたいという思いは募り、平成13年、28歳で建築会社を退職。小松市に戻り、税理士事務所に就職した。職員としてお客さまを訪問し、領収書や請求書が帳簿と合っているかどうかチェックしたり、確定申告の時期は書き方を教えるなど、実務経験を積んでいった。
そして平成23年、税理士の資格を取得。それを機に独立し、開業したのである。
◆事業の転機
起業塾の講師や税務の無料相談員も務め
現在は20数件のお客さまを持つほどに。
10年間の実務経験はあったが、自らが経営者になるのは初めてのこと。それまでのように固定給ではないし、何の保障もないことに不安はなかったのだろうか?
「多少はありましたが、税理士になろうと思ったときから開業を決めていました。成功が約束されていたわけでもないのに、妙な自信というか、勢いみたいなものでしょうか。開業当初、お客さまは少なかったですよ。税理士事務所時代にお付き合いのあった経営者の方2名ほどがお客さまになってくださったときはうれしかったです。」
開業した時、奥さまの友美さんのお腹の中には3人目のお子さんがいた。彼女は当時をこう振り返る。
「(独立開業の)相談を受けたとき、私も妊娠中で仕事を辞めたばかりでした。でも彼は、結婚前から“将来は税理士として開業する”と言っていましたし、10年間、ずっとがんばってきた姿を見ていたので、“何とかなるわよ”と言いました。」
開業してまもなく、小松商工会議所が主催する『創業塾』の存在を知った。起業を考えている人や二代目、三代目といった事業継承者を対象としたセミナーで、社会保障制度や融資制度、経理、税務といった実務的な授業、経営者による起業体験談や心構えなどのカリキュラムが組まれていた。
南氏も「経営の勉強になる」、「同じように起業し成功を夢見る仲間と知り合える」という理由から受講。そのときに出会った人たちとは、現在も年に2〜3回のサイクルで経営についての勉強会を行っている。情報交換をはじめ、経営施策のヒントをもらうなど、『創業塾』でのつながりは今も本当に貴重な存在だという。
さらに商工会議所からの依頼で平成24年からは『創業塾』で経理と税務の講師も務めるようになったほか、商工会議所が無料で専門家を派遣する『起業ドッグ制度』の派遣税理士や、北陸税理士会小松支部が派遣する無料相談窓口で相談員としても活動している。
「自分のやっている仕事を多くの方に知っていただけるチャンスでもあると思い、積極的にご協力させていただいています。」
こうした活動を通じて多くの人と出会い、南氏の人柄や仕事に対する真剣さが伝わったのだろう。3年目には約20件のお客さまを持つようになった。1人の税理士が担当できるのは、多くても30件ぐらいまで。今年もお客さまが増え、現在は奥さまも職員として南氏の業務を支えている。
◆事業の飛躍
主役はあくまでも経営者。
税理士は成功のきっかけを与える脇役。
忙しい毎日を送る南氏。お客さまのほとんどは小規模事業者だが、企業の規模に関係なく、経営者とのコミュニケーションを何よりも大事にしているという。その一環として毎月行っているのが『月次巡回監査』。お客さまを訪問し、帳簿が正しく整理されているか、経営計画どおりに事業を進めているかをチェックしている。また、経営に問題があるところは経営施策を作成し、経営者との意思疎通を図るためになるべく多く足を運ぶ。
「税理士なので、税理と会計はできて当たり前。私は、経営コンサルティングとしてお客さまと関わり、経営計画の支援を通じて、その企業が発展してほしいと思っています。そうはいっても、事業が成功するか失敗するかは、やはり経営者次第。私の仕事はあくまでも、経営者に会社の現状を認識していただいて、考え方や行動を変えるきっかけを与えることです。」
主役は経営者で、税理士は脇役というスタンス。たとえば経営が急激に悪化した飲食店の場合、前年と同じやり方をすると、今年はいくらマイナスになるかを具体的な数字を示しながら説明。どの部分にどれだけ無駄な経費がかかっているかを見せて会社の現状を認識してもらったという。その際、あまり出しゃばらない。南氏自身は“飲食店経営のプロ”ではなく、それについては経営者のほうが長けている。税理士から経理面での助言を受けたその経営者は、材料の原価を下げるためにメニューを一新し、ポイントカードを作ってリピーターの確保に努めた。“どうすれば経営の危機を乗り越えられるか”を経営者自らが考え、実行し、売り上げを伸ばしたのである。
◆今後の事業展開と課題
小規模事業者を応援して
地域を一緒に盛り上げていきたい。
「僕自身が開業したばかりですから、同じような小規模事業者は特に応援したくなる。でも最近地元では、景気の悪化や後継者不足で廃業する企業も増えてきています。地元が廃れていくのは寂しい限り。そうならないように私がサポートし、自分の住むこの街を一緒に盛り上げていきたいですね。」
現在は、経営革新等支援機関にも認定され、金融機関とお客さまとの間に入って計画策定を立て、金融支援がスムーズに進むような手助けも行っている。税理士が、経営者の立場に立って物事を考えてくれれば、安心して経理や経営計画をまかせることができる。そして南氏にとっても、経営者との二人三脚はまだスタートしたばかり。経営者の“成功”を実現させるまで一緒に歩み続ける。