第2部 小規模事業者の挑戦 ―未来を拓く―

2014年6月20日に成立した小規模企業振興基本法においては、小規模事業者の事業の持続的発展との基本原則にのっとり、小規模企業の振興に関する施策を講じる際の4つの基本方針を定めており、その実現に向け、「小規模企業振興基本計画(2014年10月3日閣議決定))において四つの目標を設定している。

地域に密着した小規模事業者や支援機関は時代の変化に対応して様々な創意工夫に取り組んでいる。第2部では、時代の変化に翻弄されながらも地域と共に逞しく活動している実態について、四つの目標の観点に立ち、ヒューマン・ストーリーも交えた42事例の様々な取り組みを紹介する。

第1-1-1図 小規模企業の定義

第1章 需要を見据えた経営の促進

小規模事業者の需要を見据えた経営の促進の観点に立ち、本章では「自らの強みを認識した需要の創造・掘り起こしに取り組んでいる事例」、「経営計画により具体的に効果を発現した事例」、「信頼関係に根ざした地域需要の掘り起こしに取り組んでいる事例」の全11事例を紹介する。

第1節 自らの強みを認識した需要の創造・掘り起こしに取り組んでいる事例

本節では、小規模事業者が自社の持つ技術力や強み・特徴を認識した需要の創造や掘り起こしに取り組んでいる下記の4事例について紹介する。

事例2-1-1 株式会社坂田鉄工所(佐賀県多久市)

 代表取締役 坂田 義人 氏

 専務取締役 坂田 健一 氏

〈鋼構造物工事業・機械器具設置工事業〉

事例2-1-2 株式会社グリーンマウス(千葉県鎌ヶ谷市)

 代表取締役 日和佐 敦 氏

 専務取締役 柳平 辰 氏

〈理容・美容バサミの製造販売業〉

事例2-1-3 遠田米穀店(秋田県湯沢市)

 代表 遠田 義宏 氏

〈米穀集荷販売・肥料・農薬・農業資材販売業〉

事例2-1-4 株式会社ケーエスケー(愛知県安城市)

 代表取締役 楠 健治郎 氏

 専務取締役 楠 伸治 氏

〈プラスチック・金属の精密切削部品加工業〉

事例2-1-1:株式会社 坂田鉄工所(佐賀県多久市)

(鋼構造物工事業・機械器具設置工事業)

〈従業員12名、資本金300万円〉

代表取締役 坂田義人氏(前列左から2人目)専務取締役 坂田健一氏(前列右から2人目)

「“仕事によって育てられた”企業が、
揺るぎない技術力と知識を武器に突き進む」

◆事業の背景と転機

炭坑が盛んな時代に鋳物からスタート。
仕事をこなすことで新たな技術を習得。

かつて興隆した石炭産業。戦前日本で最大規模を誇った筑豊炭田をはじめ、九州にも多くの炭坑が形成されていた。地場だけでなく、中央の大手資本も進出するなど産業の中心として栄えた時代、福岡の実業家・炭鉱王として有名な伊藤伝右衛門が大正時代に設立した養成学校で、鋳物の技術を学んだのが、株式会社 坂田鉄工所の創業者である坂田新氏。現在の代表取締役である坂田義人氏の父である。

「炭坑では地下水を汲み上げなければなりません。そのポンプやウインチ、トロッコの車輪の製造を父が始めたのが、昭和25年のことです。父が亡くなり、昭和39年に私が事業を継ぎましたが、東京オリンピックや高度経済成長期の影響もあって、九州にも大手企業が増えました。でも炭坑は衰退の一途、鋳物だけでは将来はないと考え、溶接や建設の技術を磨くことにしました。」

時代背景から見てもこれは自然な流れでもあった。減り始めた炭坑関係の仕事の代わりに、農家のポンプなども手掛けるようになったが、製品の設置まで自社でしなければならない。その際、溶接の技術が必要となる。実績を残すと新たな仕事の話が舞い込む。お客さまの要望に応えるために、勉強をして技術を磨く。その繰り返しで、鋳物からスタートした会社は、さまざまなニーズに真摯に取り組みながら、新しい技術と知識を習得、鉄工だけでなく、据付工事なども行うようになった。そして同社にさらなる飛躍をもたらしたのが、昭和58年に会社を法人化したこと。当初、法人化に踏み切った理由は「安定した人材の確保」だったが、結果的に同社の地盤ともいえる溶接、鉄工の技術を強化することにつながったのである。

◆事業の飛躍

培われてきた技術と知識により、
業務内容が拡大、仕事の質も向上。

「当時、年金や保険といった保障がきちんとしていない会社は、見向きもされませんでした。逆に言えば、法人化し、厚生年金や社会保険を完備したことで、溶接のコンクールで賞を取った職人や大型船の解体で腕を振るっていた職人など、優秀な人材が集まりました。すると、その技術の習得を目指す若者までやってくるようになってきたのです。今までいた職人たちも、それまで鉄板の溶接しかできなかった人が、パイプやステンレスの溶接までできるようになるなど、会社全体が目に見えてレベルアップしていきました。」

たとえば“溶接”というと、単純に鉄と鉄を接合するだけのイメージだが、素材や形、溶接する場所によって必要な技術はもちろん、難易度も異なる。なかでも難しいのがステンレスパイプの溶接で、溶接電流の知識、作業スピードや姿勢など、豊富な知識と経験が要求されるという。同じように、機械を設置する際は、配線などの知識が必要とされるし、現場の状況に合わせて部品を設計・製造して取り付けなければならない場合もある。こうして「依頼された仕事によって育てられた」技術と知識を生かし、同社は重量鉄骨、鋼構造物事業など業務内容を拡大。さらに鉄骨製作工場の性能評価基準である国土交通大臣認定工場(Mグレード)も取得、業務の質も証明することで、クライアントからの信頼も得ることになった。こうした技術力が目に止まり、無理難題を突きつけられることもあったが、それをクリアすることが血となり、肉となっていった。

「現在は、重軽量鉄骨工事、下・汚水処理機械製作と設置、機械据付工事、鉄骨トラス工事と幅広く手がけていますが、軸となっているのは公共事業で、具体的にいうと下・汚水処理用ポンプの据付工事です。派手な仕事ではありませんが、お客さまが思っていた以上の仕上がりを意識して、100点満点のところ105点いただけるように努力しています。人間の目は意外と正確で、直線であるべきものが曲がっていると違和感を覚えます。だからパーツの精度は不可欠。また溶接個所を最小限に抑え、設置されたときの見栄えの良さも意識しています。重要なのは段取り。機械自体はメーカー品ですが、現場での作業がスムーズに進むように、据付に必要な部品を工場で製造します。工場で現場作業をイメージしながら準備できるのも、溶接や鉄工の技術と知識に自信を持っているからです。」

◆今後の事業展開

デザイナーとの二人三脚で新事業を展開。
アンテナショップとして技術力を知らしめる。

景気の影響は受けたものの、法人化してから現在まで深刻な経営難に陥ったことはなかった。しかし、公共工事が行われるのは冬期がほとんどで、年間を通してみると夏期が閑散期となっていた。義人氏の長男であり、専務取締役の坂田健一氏は「仕事を受けることで会社も変化し成長してきたのは事実です。しかし、経営革新の申請をしたときに考えたのです。閑散期に何も行動を起こさなかったり、新しいニーズがないと成長できないのでは、自社の可能性が広がらない。これからは“受け身”ではなく、自分たちから発信して“進化”していかなければ」と話す。その取組の一つが、商工会青年部の活動がきっかけで知り合った建築デザイナー・井上聡氏(イノウエサトル建築計画事務所)との二人三脚でスタートした事業。井上氏と共同でデザインしたスチール製の製品を、同社で製作し、据え付けるというもの。

「幅広い分野で仕事をしてきましたが、唯一、住宅関連はあまり受注がありませんでした。理由は簡単で、住宅では溶接にこだわったり、そこにお金をかける工務店やオーナーさまが少なかったからです。でも弊社の技術力があれば、デザイナーのどんな要望にも応えられますし、仕上がりにも自信があります。井上さんと組むことで、これからは“見せる溶接”をしていきたいと思っています。そのための別法人、株式会社スチール ラボラトリーをすでに設立し、活動も開始しました。この会社が、坂田鉄工所の技術力を披露するアンテナショップの役割を担ってくれたらいいですね。」

新事業でかかわったある個人宅の階段工事では、溶接ですむところをデザイン性にこだわってボルトを使用した。そのため、パーツ製作では1ミリの狂いも許されない精度の高さが求められたという。まだスタートしたばかりで、これまでの依頼は3件だけだが、今後はスチール棚や机などオーダーメイドの家具も取り扱っていく。

さらに健一氏はグローバルな展開を夢見る。

「実は、工場の2階に『アイアンジム』という格闘技ジムを設立したのです。格闘技が盛んなタイやフィリピンの若い人を雇用し、彼らに溶接や製造の技術を教え、仕事が終わったら今度はジムで地元の中高生にムエタイやキックボクシングを教えてもらう。外国人にはコミュニケーションの場を提供し、中高生には3Kと言われるこの業界のイメージを少しでも払拭してもらえればと考えています。」

外国人労働者の目標は、溶接や鉄工の技術をマスターし、母国で起業すること。その際は同社の使っていない機材を提供し、提携企業として関係を結びたい話す。

「弊社の海外進出の足がかりというだけではなく、このビジョンの目的は、技術の伝承、そして地域貢献です。“多久の田舎者でも世界に通用する”ということを証明し、地元の人に勇気を与えたいと思っています。」

“受け身”から“発信型”へと変化を遂げようとしている同社。培われてきた技術と知識に確固たる自信を持っているからこそ、攻めの姿勢を貫けるのだろう。

建築デザイナーと組んで製作したスチール製階段
工場での溶接作業風景

事例2-1-2:株式会社グリーンマウス
(千葉県鎌ヶ谷市)

(理容・美容バサミの製造販売業)

〈従業員4名、資本金300万円〉

代表取締役 日和佐 敦氏(中央)専務取締役 柳平 辰氏(右)営業担当取締役 丸井教彰氏(左)

「製品に通わせる“技術者の心”を具現化」
「プロ同士が通じ合うシステム構築で新価値を創造」

◆事業の背景

商品に自信はある。でも、なぜ売れない?
試行錯誤を続けた3年間。

競合する企業と戦う戦術はいくつかあるが、その一つに「高付加価値化」という手法がある。他社と似たような製品でも、明確な違いを消費者にはっきり分かる形で提案できれば競争力は一段と高まるはずだ。しかし、事業者が製品やサービスに自信を持っているほど、どうしてもそれまでの商品の既存イメージにとらわれ、新しい発想が生まれにくい。そのため、従来からある製品に新たな価値を付加するのは、新製品を開発する以上に難しいともいわれている。

千葉県鎌ヶ谷市の理容・美容バサミメーカー、株式会社グリーンマウスも創業から数年は、そんな苦しみのなかで、もがいていた。代表取締役の日和佐敦氏、専務 海外担当取締役の柳平辰氏、そして営業担当取締役の丸井教彰氏は大手理容・美容バサミメーカーの同僚で全員が同い年、新人の頃から苦楽をともにしてきた間柄だ。その3人がより高い理想を掲げ、30歳を機に独立起業を決意したのが今から12年前、平成14年のことだった。

同社の事業を説明する前に、少し美容・理容業界の「B to B」ビジネスモデルについて触れておこう。この業界ではカットチェアのような什器をはじめ、シャンプー、ハサミといったサプライ用品は代理店が店舗に販売する仕組みが確立しており、プロ用のハサミメーカーは販売代理店の協力なしではハサミ一丁売ることができない。

そんな市場環境のなか、高品質なハサミの製造、そして高いレベルの修理・メンテナンスを目指した同社は、早々に行き詰まることになる。歴史もない、無名ブランドのハサミは代理店にも問屋にも見向きもされず、販路開拓は遅々として進まなかった。それはつまり、いくら高品質のハサミを製造しても売れない、ということを意味する。

「今、思うと無謀でした。『より良いハサミをつくりたい』と、理想に燃える技術者と実績のある営業マンが揃えば何とかなる、と軽い見通しと若さの勢いでスタートしましたが、私たちが思う以上に、この業界のビジネスの枠組みはがっちり出来上がっていたのです。」

日和佐社長は自身の甘さを痛感した。とはいえ、ここで音を上げるわけにもいかない3人は営業初心者の社長や専務も加わり、全員が地元を中心に理容・美容室に飛び込み営業をする毎日がスタートした。だが結果は思わしくなく、9割は門前払いという日々がなんと3年間続いたという。

◆事業の転機

好転のきっかけは突然に。
「手書きのコメント」がすべてを変えた。

「なぜ、売れないのか?」「なぜ、修理を依頼してくれないのだろう?」

少量の販売や修理の依頼はあったものの、なかなか事業が軌道に乗らない時期、3人は終業後の工場で毎日議論を続けた。専務の柳平氏は当時の自身の状況をこう振り返る。

「1人になっても、『なぜ、売れないのか?』と自問し続けていました。考え始めると、眠れなくなる。眠っても、突然夜中に飛び起きて、また悩む。そんな状態でした。でも、人って追い詰められると何かしら思いつくって言いますが、本当にそうでしたね。」

柳平氏が言う、“思いつき”は意外なほどシンプルな着想だが、当時、どのメーカーも実施していないサービスだった。それは、修理を依頼されたハサミをお客さまにお返しする際、ちょっとしたコメントを添える、というもの。修理前のハサミの状態や問題点、クセ、そして、修理内容や使用上の注意点、日常の手入れ方法をいわばカルテのような形で記述し、修理を終えたハサミとともに届けるのだ。実に単純だが、“お客さまに心の底から満足していただく製品を届けたい”という一途な思いを持って起業した3人だからこそ、生み出せたアイデアともいえる。ハサミづくりのプロの的確なコメントに心動かされた理容・美容師の口コミから次第にファンが増え、修理・メンテナンスを入り口として、製品の売上も徐々に増加していった。

修理を終えたハサミは手書きコメントを添えて納品

◆事業の飛躍

直販システムの強みを徹底的に追求!
商品・サービスの価値を高める、
「地域限定シザートータルサポートシステム」が完成。

初めてともいえる明るい兆しが見えると、機動力がある同社だけにその後の動きは早かった。技術はあるが、販売体制の弱さを痛感し、地元商工会で行われている経営革新セミナーに参加。専門家のサポートを受けながら、平成20年に販売サポート体制の再構築を進める経営革新支援計画をまとめあげ、その認証を受けた。もちろん、その核となったのは、大きな手応えを感じた“カルテの提供”だ。これに肉付けする形で生まれた「地域限定シザートータルサポートシステム」が今も競合他社と差別化する強みとして機能している。

具体的には購入前に同社のオリジナルバサミを3日間、無料でトライアル使用することができ、購入決定後はヒアリングを通して把握した好みやクセに合わせて、調整。オーダーメイド製品に劣らぬ、そのユーザーだけのオンリーワンが納品される。メンテナンスサービスも顧客目線をさらに押し進め、ハサミを預かってわずか3日間で研磨・調整を行い、その間は代車ならぬ、代替ハサミの無料レンタルも行う。そして、修理、メンテナンスを行ったハサミを先にも触れたカルテとともにユーザーのもとに届けるのだ。

業界では当たり前の代理店経由の販売ができず、直接販売という道を選ばざるを得なかったことが逆に強みを生み、このシステムの構築で納期短縮、中間マージンのカットでコスト削減も実現。直接、ユーザーの声を吸い上げることで、顧客の囲い込みにも成功した。また、「経営革新支援計画」の認証を受けたことで得られた助成金で、念願の海外での展示会も実現し、“Made in Japan”の思想を体現した同社のハサミは中国、台湾などで次第に評価を高め、今では海外での売り上げは全体の6割近くに達するという。その後も、評判が評判を呼び、ロンドンや日本を代表する美容チェーンで使用されるハサミの製造やメンテナンスを一手に請け負うほどの成長を遂げた。

◆今後の事業展開と課題

厳しくなる市場環境への適応が課題。
答の一つがトリマー用ハサミ。

とはいえ、全国の理容室は減少を続けている上、最近は美容室でさえ低価格を打ち出す店舗も増えている。美容業界のサプライヤーにとって決して安穏としていられる状況ではないのだ。こうした業界の未来を見据え、同社はペットのトリマーが使用するハサミの開発を昨年からスタートさせた。

「人の髪を切るハサミとペットの毛を切るハサミは仕上げがまったく違います。トリマーの方の意見を聞いては試作し、なんとか納得できるレベルにまで仕上がり発売にこぎつけましたが、今もアドバイスしてくださるトリマーの方とブラッシュアップを続けています。」(柳平専務)

やはり同社はどんなビジネスにチャレンジする場合も、ユーザーの意見を真摯に聞き、それを自身の持てる技術を注ぎ込んで実現する。そしてもう一つ、ユーザーと直接コミュニケーションする努力を決して怠らない。優れた技術者は技術で雄弁に語る、という考え方もあるが、“言葉の力”一つですべてを変え、商品に高い付加価値を与えたこの事例、業種は違えど、多くの事業者にとっても参考になるのではないだろうか。

ハサミの製造は経験と勘が頼りの手作業
中国広州で行われた展示会に出展

事例2-1-3:遠田米穀店(秋田県湯沢市)

(米穀集荷販売・肥料・農薬・農業資材販売業)

〈従業員4名〉

代表 遠田義宏氏

「数字による裏づけで栽培法を徹底管理」
「おいしいお米を届けることに情熱を燃やす」

◆事業の背景

「あきたこまち」の普及に一役。
専門家とともに育成方法を指導。

水が豊富で、昼と夜の気温差が大きい土地は、美味しい米の栽培に適しているといわれている。現在は合併されて秋田県湯沢市になっているが、小野小町誕生の地とされている旧雄勝町も、県内有数の米どころで、多くの農家が人気ブランド「あきたこまち」を生産している。

昭和元年創業の遠田米穀店は、戦前は旧小野村の食糧配給所に指定されるほど由緒ある店。現在の事業主、遠田義宏氏は三代目に当たり、「あきたこまち」が誕生した昭和59年から、小売業の枠を越え、地元の農家と一緒に美味しい米づくりに取り組んできた。

「『あきたこまち』というブランドを全国に普及させるには、自分で行動を起こした方が早いと思いました。まずは米の品質を安定させて、いつでも美味しい『あきたこまち』が食べられるようにすることが重要。私は施肥技術指導員と農薬管理指導士の資格を持っていたので、元秋田県農業試験場の職員と一緒に、農家の人たちに作付け指導や農薬、肥料の使い方をアドバイスし始めたのです。」

遠田氏の“行動”は育成方法の説明会だけにとどまらない。稲刈り直前の9月には収穫時期についての研修会を実施。また、稲の育成は天候に大きく左右されるため、稲が育つ7月下旬には実際に田んぼに赴き、成長を確認してからの肥料の散布料や追肥するタイミングを確認したりもする。

そうやって大切に育てた「あきたこまち」だが、あるとき疑問を感じるようになった。

粘りが強く、粒が大きいのが特徴
朝5 時から始まる「あぜ道講習会」

◆事業の転機

生産者の顔が見える米を売りたい。
自社精米のオリジナルブランドを販売。

「かつて父の代には自分のところで精米していましたが、精米機の老朽化に加え、旧雄勝町周辺の米穀店の申し合わせもあって、精米センターに一任することになりました。ですから当店も、卸会社から精米された米を仕入れて販売する小売業でした。でも、精米センターから仕入れる『あきたこまち』は、どこの誰が作った米か分かりません。私が指導している米と、そうでない物が混ざっている可能性もあります。そいう意味で、生産者の顔が見えない米、ということになります。」

もやもやした気持ちでいたとき、日本米穀小売商業組合連合会が、精米機のリースについて説明会を催した。それに参加した遠田氏は、自社で精米しても精米センターとの関係に問題が生じないことを知り、精米機を設置する意思を固めたという。そして平成8年11月、大手精米センターに負けない機能を持つ精米機を設置。リース代や設置費用として約1,500万円を費やした。

「自社精米に踏み切った理由はもう一つあります。旧雄勝町は小野小町発祥の地。その町で生産した『あきたこまち』をアピールしたオリジナルブランドを商品化したいと思ったのです。」

平成11年、その思いをネーミングに託した商品、『小野小町の郷 特撰米 あきたこまち』が、そして平成21年には『小野小町の郷 特別栽培米 あきたこまち』が完成した。特撰米のパッケージには郷土への想いを綴った詩と、毎年6月に開催される「小町まつり」で小町娘に選ばれた遠田氏の妹の写真があしらわれ、旧雄勝町の米作りへの自信と誇りが伝わってくる。

大手と同等の性能を持つ精米プラント

◆事業の展開

栽培データや品質検査結果を管理。
農産物検査も自ら行う。

その自信の源はどこにあるのだろうか。当初の契約農家は70軒弱だったが、農家ごとに米の品質にばらつきが出ては意味がない。それまで以上に農家の協力が必要だった。

「長年培われてきた農家の方たちの経験と勘は尊重しますが、数字的な裏付けも、美味しい米づくりには必要です。そこで毎年の栽培データを分析し、情報を共有しました。たとえば収穫の時期。穂が出そろう“出穂期”から毎日の平均気温を足していって、積算温度でいちばんおいしくなる時期を割り出します。ちなみに『あきたこまち』の刈取り適期積算温度は1,000度なので、950度以上になった日から刈り始めます。」

稲刈りを遅くするほど収穫量が増えるため、それまで農家の人たちはたわわに実るまで待っていた。しかし刈取り適期積算温度を超えると、テリとツヤが悪くなり品質が落ちる。積算温度を計算するようになってから、稲刈りの時期が少し早くなったという。さらに収穫した米の品質検査も実施。米は水分が高いほうが美味しいといわれていて、遠田氏が管理する米の水分量は14.5〜15%が適正水分値だ。毎年、数字で米の品質を示されるため、農家の人たちも自分が作った米の数値を気にするようになったという。

そのほか、各農家には栽培管理記録票を提出してもらい、その情報をパソコンで管理。種子や育苗、土壌検査結果などを瞬時に確認できるようにした。これにより、米に問題が発生したときに流通ルートや産地情報が分かる「米トレーサビリティ制度」にも対応している。

それだけではない。米の検査は水分含有量、異物・被害粒・異種穀粒及び未熟粒混入率、形質、整粒歩合、発芽率、容積重量等により等級分けされる。その検査をするのが、農産物検査員の役目だ。以前は食糧事務所の担当者に任せていたが、平成16年には自ら農産物検査員の資格を取得。遠田氏が検査することで、情報を細かくフィードバックできるようにした。

こうしたさまざまな努力が実り、小野の郷を含む秋田県南産「あきたこまち」は、等級とは別に設定されている、日本穀物検定協会による食味評価試験「米の食味ランキング」において、3年連続最高ランクを示す“特A”を受賞したのだ。

◆今後の事業と課題

廃業する農家の急増を危惧するが、
お客さまの“美味しい”の一言が喜びとなる。

大切に育てたオリジナルブランドを1人でも多くの人に知ってもらおうと、サンプル米を配ったり、物産展に出店するなどコツコツと営業活動を行ってきた遠田氏。その努力がむくわれ、平成15〜16年ごろになると、その名も多くの人に知られ、電話やFAXで全国から注文がくるように。さらに販路拡大のために平成22年からは、自社のホームページからも注文できるようにした。

「注文のFAXに、“今年もまた注文します”とか、郵便局の払込用紙に“美味しかったです”とメッセージが書いてあることがあります。それを見ると、本当にうれしくなります。」

遠田氏は今年の9月で60歳になるが、忙しい日々を妻の明美さんが経理を担当してサポート。ゆざわ小町商工会の指導で平成22年から「ネットde記帳」を利用してデータを管理している。叔母と息子夫婦も従業員として働くなど、家族に囲まれながら、ますます米づくりに情熱を傾けている。

「今は米の価格が下がり、高齢化による農家の跡取り問題も深刻です。以前は70軒弱あった契約農家も、現在は約50軒。去年も1軒の農家が、米づくりをやめました。廃業する農家がだんだん増えてきているのが心配です。」

日本の将来の農業事情に警鐘を鳴らす遠田氏。しかし今は、美味しい米を消費者に届けることに無我夢中だという。

事例2-1-4:株式会社ケーエスケー(愛知県安城市)

(プラスチック・金属の精密切削部品加工業)

〈従業員12名、資本金1,000万円〉

代表取締役 楠 健治郎氏・専務取締役 楠 伸治氏

「創意工夫を怠らず、オンリーワンを目指す
DNAが自社製品開発で結実」
「脱・下請への道」

◆事業の背景

NC旋盤に町工場の未来を見た職人は、
腕一本で日本の成長に貢献してきた。

世界最大の自動車メーカーの本拠がある愛知県。圧倒的なパワーを持つこのメーカーの周辺には広大な企業城下町が広がり、県内には一次、二次下請けだけでも、約6,000の企業がひしめいている。数字があらわすように、県内製造業者の自動車産業への依存度は高く、高度成長期には多くの下請企業も我が世の春を謳歌した。しかし、時代は変わった。自動車産業のコストダウンは熾烈を極め、「選択と集中」を進めるなか、下請企業も生き残りをかけたサバイバルを強いられている。

昭和46年に創業した株式会社ケーエスケーは金属の精密切削加工技術を武器に、そんな自動車産業を支えてきた下請企業の一つだ。代表取締役の楠健治郎氏は、サラリーマンとして電機メーカーに勤めながら、当時、まだ日本では使われていなかったNC旋盤の理論を大学で学び、「これは大企業も、町工場も同列にしてしまう夢の機械」と惚れ込んだ。矢も楯もたまらず、27歳で転職。3年間町工場で旋盤技術の修行に明け暮れ、30歳で起業を果たした。

「とはいえ、ハイグレードのNC旋盤は1,800万円もしましたので、買えるわけがありません。結局、入手できたのは起業から10年後でした。ただ、その時代でも、まだNC旋盤を使いこなせるエンジニアは少なくて、ほかで断られたような複雑な加工ばかりが舞い込んできましたね。昔ながらの勘と技術が必要な汎用旋盤、そして数学の知識が必要なNC旋盤。私がこの二つのマシンを使える最後の世代だったからでしょう。」

量産品ではなく、自動車開発時に試作される、複雑な部品を確実に作り上げる楠氏の評判は次第に広がっていく。精度の高い金属部品を作ることができるエンジニアが見つからず、同社にたどり着く有名メーカーや一流商社は一社や二社ではなかった。

◆事業の転換

自動車産業の下請けに未来はあるか。
時代の変化を読み、プラスチックの精密切削加工にチャレンジ。

「昔は自動車部品の試作をする際、今のようにコンピューターでシミュレーションはできなかったので、それなりの数を作る必要がありました。ところが、今はシミュレーションでかなり精度を高めた上で部品を試作するので、発注はたった2個ということもあります。その上、スピードが大事な時代。すぐ量産にかかれるよう、その試作を量産メーカーに依頼することも少なくありませんでした。そうなると、『試作屋』として生き残っていくのは、なかなか厳しくなってきた。それが今から20年ほど前のことです。私たちも変わらなければならない時期でした。」

ここで、楠社長が舵を切ったのはプラスチック材の精密切削部品加工。金属部品加工の分野は競合が多く、技術的にもスキルの高い企業が増えてきたが、プラスチックはまた、事情が違う。加工業者の数が多いが、そのほとんどは成形品を大量製品する企業で、同社のように大きなプラスチック材を旋盤やマシニングセンターで複雑加工する技術を持つところは、まだまだ少ないのだ。

ほどなくして、噂を聞きつけた自動車塗装用の産業ロボットを手がける関東のメーカーから、塗料を噴霧するノズルを作ってほしいと依頼を受ける。

「見た目は直径100ミリぐらいのパイプ状のものですが、それをひと回り大きいプラスチックの固まりから削り出して作らなければならない。本体内部に小さな穴をいくつも開ける必要もあります。しかも、塗料を効率よく吹くために、穴は真っ直ぐ通っていて、穴の表面はツルツルに仕上げなければならないという、厳しい要求でした。プラスチックは柔らかい素材なので、ドリルの刃が暴れてしまい、“真円”の穴を正確に開ける難しさは金属の比ではありません。」

結局、既存のドリルではクリアできず、真円を開けるためのドリルまで、オリジナルの設計で製造し、完成にこぎつけた。これがきっかけとなり、このメーカーにおけるノズル製作のシェアは一気に拡大。同時に、プラスチックの精密切削加工でも、トップランナーに躍り出た。

◆事業の飛躍

慣れ親しんだ自動車業界から、未知の業界「消防」へ。
「コロンブスの卵」的発想で独立メーカーへの第一歩。

「新しい技術分野を獲得したことで、仕事の幅は広がりましたが、まだ安心できる状況ではありません。何より今の時代、“下請”という状況に身を置くことは、非常に危険です。発注元の動向次第で、弊社がどうなるか先が読めませんから。」

10年前に修業先から戻り、現在は楠社長の片腕として、同社を引っ張る専務取締役・楠伸治氏の言葉どおり、今、彼らが目指すのは下請からの脱却。そのためには、ものづくりに邁進してきた同社ならではの、特徴ある製品開発が欠かせない。そんな未来の青写真を描き始めた頃、チャンスは訪れる。同社のプラスチック加工技術の噂を聞きつけた消防機器関連企業から、家庭用の水道につないで、初期消火作業ができる器具の開発を持ちかけられたのだ。

「完成はしましたが、製品として販売許可が得られず、結局、日の目を見ませんでした。しかし、まったく接点がなかった消防業界との付き合いが始まり、これをきっかけに、完全にオリジナルな発想で自社商品を開発することができました。」

そう言って、楠専務が取り出したのは、かなり大型のシャワー蛇口を連想させる器具だ。消防用可変ノズル『からくりノズル』と名づけられたこの器具は、消防業界関係者と情報交換するなかでニーズを知り、その答として生まれた自社製品だ。消火活動で放たれた水は直線的に対象物へと向かうため、広範囲の消火を一度にカバーするのは難しい。そのため消防の現場では長い間、ストレートな放水と、ある程度広い範囲を長射程でカバーする放水を、手元で切り替えられるノズルが求められてきた。そこで、同社は写真のように放水口に6.8ミリのストレートな穴を八つ並べたノズルを開発。ストレート放水の場合は八つの水流が束となって火点に到達し、本体の外筒を回すとノズル内の機構が歯車で動き、センターを除く七つの穴がやや外側を向き広角で火点をカバーする。水の吹き出し口になっている穴が、ある程度の口径を持っているため、広角にした場合も一本一本の水流は棒状で飛んでいき、ストレート放水並みの長距離放水が可能なのだ。

消防用可変ノズル『からくりノズル』

◆今後の事業展開と課題

変化を恐れず前進できるのは、
変わらない、引き継ぐべきDNAがあるから。

「この『からくりノズル』は地元、安城市の消防署などで放水実験をしていただき、消防関係者の方々からは高評価をいただきました。後は公的な性能試験をして、ハードな火災現場でも使用に耐えることを証明し、性能を防災展などで関係者にアピールしていきたいですね。」

新しい素材の加工にチャレンジし、下請工場から独立メーカーを目指す株式会社ケーエスケー。生き残りをかけ、成長を目指して変化を続ける同社だが、楠社長が生み育て、楠専務に継承するのは、変わることのないDNA。それは、誰もが躊躇する高みにチャレンジし、誰も考えたことのない新しいものを生みだそうとする精神。そのDNAがある限り、安城の町工場から新しい風は吹き続ける。

工場内全景
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