第1部 小規模事業者の構造分析

4 フリーランスの相談先・支援先

これまでのアンケート調査結果から、フリーランスは、規模は小さくとも、挑戦心と受注に応えうる技能に自信を持つ事業者であるといって良いが、事業を営む上で外部に協力を求めているか、また、必要と考えているかについて見てみたい。

第1-3-44図、第1-3-45図は、それぞれフリーランスが実際に受けたことがある相談先・支援先、今後受けたい相談先・支援先について聞いたものである。すると、「特に支援を受けたことはない」、「特に支援を受けたいと思わない」との回答が突出して多かった。フリーランスの実像を把握するに当たり、これらの回答と合わせて、先に見たいくつかの回答、すなわち、フリーランスが事業を営む理由として「仕事をする時間や場所の自由度がある」こと(第1-3-24図)、必要な知識・技能を「自分で身に付けた」こと(第1-3-38図)、近年の売上及び利益の傾向は「横ばい」が約半数を占めること(第1-3-31図)、などを総合すると、自らの技能を拠り所に、事業は現状の規模に見合う範囲で営んでいくとの意識のもと、事業の拡大一辺倒ではなく、持続性に軸足を置いた経営の在り方も見えてくる。

第1-3-44図 実際に受けたことがある相談先・支援先
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第1-3-45図 今後受けたい相談先・支援先
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ここまで、第2節では新しい働き方としてのフリーランスの実像について多面的にみてきた。ここで、現在、第一線で活躍しているフリーランス2者と、数多くのフリーランスが集うコワーキングスペースを運営している小規模事業者1者の取組事例を紹介する。

事例1-3-3:斉藤ベンツ えく子氏(千葉県佐倉市)

(ロシア語会議通訳・翻訳家)

〈従業員0名〉

同時通訳を行う 斉藤ベンツえく子氏

「子供たちの成長にあわせて仕事のスケジューリングをしつつ、プロフェッショナルとして世界で活躍」

◆きっかけ・転機

斉藤ベンツえく子氏は、ロシア語会議通訳の第一人者。国際会議の同時通訳を聞けば、ロシアに永らく住んでいたのかと思う。ところが斉藤氏の大学時代の専攻は英文学。シェークスピアを研究していたという。ロシア語は第2外国語。しかし、良い先生に恵まれ、学生時代から日露の通訳をしていた。ちなみに、通訳の傍らロシア語に翻訳している哲学書は、モスクワ大学から出版されている。

斉藤氏は大学卒業後、大手商社で通訳や翻訳の仕事をしていた。契約書や輸出機械等の仕様書の翻訳などに従事していたという。

転機となったのは、1989年12月に米国大統領レーガンとソビエト連邦最高指導者ゴルバチョフの間で行われマルタ会談。この時斉藤氏は、生まれて初めてテレビ局での同時通訳をした。これ以降、冷戦の終結をうけて、ロシア語がテレビや国際会議の同時通訳言語となっていき、斉藤氏の同時通訳としての仕事が増えていく。また計画経済から市場経済への移行を支援する金融セミナーなど各種の新しい通訳需要が生まれた時期でもあった。このロシア語の需要の変化を背景に、また、子供たちと過ごす時間をよりフレキシブルに確保するため、斉藤氏は商社を去り、フリーランスとして通訳の道を歩み始めることにした。

◆仕事の内容

通訳はただ言葉を単純に置き換えるだけではない。会議も交渉通訳も、そのバックグラウンドとなる専門知識が必要な事は言うまでもないが、発言の意図を間違いなく伝えるためには、言語の違いだけでなく、言語文化の違いを乗り越えなくてはならない。

「言語に現れる思考回路の違いや国民性の違いを通訳がしっかりと理解し、異文化間に橋を渡すように訳す事が大切だ。」と語る斉藤氏。

発言者の思いを真剣に理解し、咀嚼し、言語の掛け橋となる ― 国際社会の第一線で通訳という仕事を極めるには、並大抵の能力では難しいと思うのだが、そのような努力の蓄積によって、斉藤氏は長くロシア語通訳のプロフェッショナルとして活躍できるのだろう。

◆仕事への思い

フリーの通訳として活動を始めた時期、斉藤氏は母親として子育て中であった。

「フリーランスという生き方は子育てと両立するには好都合でした。子供の成長に合わせて、幼稚園や小学校の頃は出来るだけ長い出張は控え、都内での短い仕事を選んだものでした。仕事の量や時間をライフステージに合わせて、ずっと仕事を続けるうえで、フリーランスで良かったと思います。」

現在も、斉藤氏は若手の通訳を育成しながら、さまざまなテーマの通訳に従事しているそうだ。そこで、フリーランスは収入が安定しないのではと問いかけてみた。

「その通りですね。でも私は通訳の仕事が大好きなんです。込み入った内容や微妙なニュアンスをうまく通訳ができた時はとても嬉しいです。それで人と人の心が通うのを見るのも、とても幸せです。」

多様な人生ステージを生きる女性が、フリーランスで通訳という仕事を極めて、変動する国際社会で活躍している。

これからも、斉藤氏らしい軽やかで自由闊達な歩みを、続けて欲しいと願っている。

事例1-3-4:株式会社ゼンアーキテクツ(東京都港区)

(ITコンサル業)

〈従業員0名、資本金2,100万円〉

COO 三宅和之氏

「時間を有効活用し、本来の“仕事”に注力できる」
「クラウドソーシングという働き方」

◆クラウドソーシングを活用した背景

依頼したい仕事がある企業(クライアント)はWebサイト上でその仕事内容を公開し、仕事を探す人(ワーカー)はその仕事を受注したければ手を挙げる。双方の条件が合えば、マッチングが成立し、仕事がスタートする。特にITやクリエイティブなどの専門技術を身につけている人々の間で、こんな業務受注の仕方が増えてきている。これが『クラウドソーシング』だ。

一見、人材派遣と同じように見えるが、業務従事者の事前指名ができない派遣と違い、あくまで、クライアントとワーカーを直接マッチングするサービス。ワーカーはサイト上で自身のスキルや実績を公開でき、クライアントも素早く目当ての人材を見つけることができる。

仕事の受注に、このシステムを利用する株式会社ゼンアーキテクツはわずか2名で営業する会社だが、ビッグクライアントのシステムコンサルティングや設計など、システムの根幹をなす業務をいくつも手がけている。今回、お話を伺ったCOOの三宅和之氏は大手信託銀行でシステムの企画・運用を、パートナーでCEOの岡大勝氏は大手コンピューターメーカーで資産運用系のシステム開発に関わっていた経歴を持ち、ともにこの分野のエキスパート。そして、ともに前職時代から、業界に対する違和感を感じていた。

◆クラウドソーシングのメリット

「IT業界は建設業と同じように、多重下請け構造なので、とても仕事の効率が悪いのです。私が銀行でシステム開発を担当していたときも、関わる人数が多すぎて情報が共有できなかったり、無駄に時間がかかったり。予算的にも無駄が多いですよね。」

その点、彼らに業務発注するクライアントは、そもそも大手システムインテグレーター(顧客の業務内容を分析し、問題に合わせた情報システムの企画、構築、運用などの業務を一括して請け負う業者)に依頼せず、クラウドソーシングサービス会社を利用していることからもわかるように、三宅氏らが会社員時代に感じていた不満を共有している。つまり、シンプルで効率がよい作業が約束されているわけだ。また、Web上で受注、契約、報酬回収まで、仕事に付随するさまざまな作業を代行してくれる点もクラウドソーシングの魅力だという。

「二人のエンジニアで運営している会社ですから、契約作業や請求作業に時間を取られたくない。専門外の作業に使う時間があれば、自分の仕事に集中したいのです。」

◆クラウドソーシングを活用する上での留意点

二人にとって、いいことずくめの「クラウドソーシング」だが、最後にこのサービスを使う上での、ワーカーの心得をきいてみた。

「人づきあいが苦手、という理由で、このサービスを利用しようと考える方もいるかもしれませんが、『クラウドソーシング』を使うなら、必要なのは技術の高さとともにコミュニケーション能力でしょうね。ほかの職種はわかりませんが、初対面の人と組んで仕事をすることも多いのがSEです。もちろんクライアントとのリアルな打ち合わせもありますから、その点は会社勤めをする場合と何ら変わりません。」

高い技術を持つワーカーを探したい方。無駄なコストをカットしたい発注者。そして、自身の技術とコミュニケーション能力に自信のあるワーカーは、この新しい受発注サービスも有効なツールであるといえよう。

事例1-3-5:株式会社コミュニティコム(埼玉県さいたま市)

(コワーキングスペース運営)

〈従業員4名、資本金100万円〉

代表取締役 星野邦敏氏

「闘病生活で出会ったホームページ構築・運営」
「フリーランスのコミュニティ化に可能性」
「コワーキング事業の最終目標は地域の活性化」

◆事業の背景

株式会社コミュニティコム代表取締役の星野邦敏氏は、さいたま市の出身で現在36歳。さいたま市大宮区でコワーキングスペース「オフィス7F」を運営している。

星野氏は大学を卒業後、就職活動もせずに自由気ままな生活を送っていた。しかし間もなく、先天性の持病が悪化し入院を余儀なくされてしまう。退屈な闘病生活の中で、お見舞いに来てくれた友人からホームページ作成に関連した本をもらったのがきっかけで、自身の入院生活をネット公開して時間を過ごす毎日が続いた。それからは、ホームページの構築と運営にのめり込むことに。

退院後27歳の星野氏は、会計事務所に就職、働くかたわら資格試験の受験に挑戦する。受験勉強の最中、自分自身が必要と感じて、税理士試験に関する情報を受験生で共有するコミュニティサイトを構築し、運営していたという。このサイトが受験塾の目に留まり、平成16年以降アフィリエイト収入が増えていき、気がつけば年収は1,000万円を超えていた。

こうした時、とある受験塾から広告依頼を受けた際に、「法人契約にしてくれないか」との話があり、それならと平成20年に税理士事務所を退社、(株)コミュニティコムを起業した。星野氏は29歳になっていた。

◆事業の転機・展開

起業後は、さいたま市緑区にある実家で仕事をしていたが、「自宅にいると人との会話もなく、ひきこもりになりがち」ということで、東京赤羽のインキュベーションルームを借りて事業活動を続けた。

この頃には、ホームページ運営や、ホームぺージ構築オープンソース「WordPress」関係のフォーラムやセミナーでの講演も舞い込み、仲間との共同事業やコミュニティ活動も増えていったという。また、「WordPress」のノウハウ本の執筆依頼も来るようになっていた。

事業活動の拡大にともなって、事務所の移転を考え始めていた時、東京西日暮里の廃校となった学校の一室が借り受けられることになり移転した。しかしここも、平成23年の東日本大震災後に、耐震性に問題があるとして取り壊しが決まったため、自らコワーキングスペースを運営することを決意、出身地であるさいたま市に「オフィス7F」を開設したのだ。

「オフィス7F」は、単なる「貸し事務所」ではない。フリーランスのコミュニティスペースでもある。

「フリーランスは自由な働き方や生き方ができる反面、人とのコミュニケーション不足から孤立したり収入が不安定になったりとデメリットもあるのです。」

星野氏は自分の体験から利用者のコミュニティをサポートできないかと考え、現在、大手クラウドソーシング運営会社とのタイアップを進めている。

◆今後の事業展開

「最近では地域の主婦やサークルでの利用も増えてますので、ITに限らず、いろんな職種でのコワーキングを推進したいですね。」星野氏はまた、コワーキングのフランチャイズ化に向けた準備も進めているという。

「地方の創生には、まず人と人どうしのコミュニケーションの場を提供してコミュニティを構築し、それが地域で定着することが大切だと考えています。そして、そのコミュニティを持続可能にするために仕事の流れを作るのです。それがコワーキングの最終目標です。」と星野氏は今後の抱負を語ってくれた。

「オフィス7F」の店内・公的補助金の説明会などイベントも行われる
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