第2部 自己変革を遂げて躍動する中小企業・小規模事業者 

3 世代交代による事業革新と地域、社会への影響

第1項において、経営者の高齢化が、企業の業績悪化につながるおそれがあることを指摘したが、事業承継による経営者の世代交代は、企業にどのような変化をもたらすのであろうか。

第2-3-5図は、現経営者の事業承継時の年齢別に、事業承継後の業績推移を示したものである。全ての年齢層で、「良くなった」と回答する割合が、「悪くなった」と回答する割合を上回っており、事業承継時の現経営者の年齢が若いほど、承継後の業績が向上する傾向が見られる3

3 事業承継後に業績が「良くなった」と回答する企業の、現経営者の事業承継時の平均年齢は43.7歳であり、前掲第2-3-4図で示した、事業承継のタイミングについて、「ちょうど良い時期だった」と回答する企業の、現経営者の事業承継時の平均年齢と同じ結果になっている。
第2-3-5図 事業承継時の現経営者年齢別の事業承継後の業績推移
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第2-3-6図は、経営者の世代交代によって、自社の経営に良い影響があったという企業に、地域や社会への影響について聞いたものである4。これを見ると、中規模企業の約3分の2、小規模事業者の5割強が、経営者の世代交代によって、地域や社会に良い影響があったと考えていることが分かる。

具体的な内容を見ると、中規模企業は、「やりがいのある就業機会の提供」と回答する割合が高く、「事業利益の地域への還元」が続く。他方、小規模事業者は、「やりがいのある就業機会の提供」に次いで、「地域のコミュニティづくりや伝統文化の継承」と回答する割合が高い。

4 経営者の世代交代による経営への影響が、どのような形でもたらされたかについては、付注2-3-1を参照。
第2-3-6図 規模別の経営者の交代による地域・社会への影響
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以上、事業承継の効果、影響を見てきたが、事業承継の意義は、企業の存続はもとより、新たな経営者の手によって企業が更なる発展を遂げ、地域や社会と一層強く結び付いていくことにあるといえよう。以下では、経営者の世代交代によって、事業の再生や情報技術の活用による経営革新5、地域や社会への貢献を果たしている企業の事例を示す6

5 中小企業・小規模事業者の情報技術の活用の現状と課題については、次章で詳細に分析していく。

6 後掲事例2-3-10も参照されたい。

事例2-3-3 井筒屋

再建された旅館を受け継ぎ、新たな事業として再生した女性経営者

新潟県村上市の商店街の一角にある井筒屋(従業員2名)は、国の登録有形文化財である建物で、一日一組の宿泊客を受け入れる旅館とカフェを営んでいる。井筒屋の歴史は古く、城下町・越後村上で代々旅籠として続き、松尾芭蕉が「おくのほそ道」の途中に宿泊したことがあるという。

井筒屋を営む鳥山潤子氏は、長年、教員として県内の学校に勤めていたが、2010年に退職し、母親から事業を受け継いでいる。

井筒屋は、先代である母親が経営していた時代には、ビジネス客が泊まる宿泊施設として営まれていたが、交通網の整備で宿泊客が減少し、1998年に一度廃業している。その後、2007年に文化的な建物がリノベーションされたのを契機に、少人数の観光客向けの旅館として再建された。

以前に営業していた多数を受け入れる宿泊施設では、食事の準備等の長時間にわたる労働で家族の負担も大きかったことから、鳥山氏の両親は、鳥山氏が教員を続けることを望んでいた。しかし、鳥山氏は、母親が井筒屋を再建するのを支えたことを通じて、事業への意欲を持つようになるとともに、高齢の母親が不慣れなカフェ事業で苦労しているのを見て、事業を受け継ぐこととなった。

事業承継から3年を経た現在では、井筒屋再建に取り組む過程でつながりができた人々とのネットワークに助けられ、自分自身や事業として何が必要であるかを見つめることができるまでに、事業を軌道に乗せることができてきている。

鳥山氏は、「母親から事業を受け継いだときのように、事業の内容や担い手はこれからも変わっていくだろうが、井筒屋という名前と歴史的な建物は、この場所に残していきたい。今は、自分の店を良くすることに注力したいが、そのことが地域にも良い刺激となればと思う。」と語る。

井筒屋の外観

井筒屋の外観

事例2-3-4 中川株式会社

後継者が情報技術の活用による経営革新を進めてきた老舗企業

東京都台東区の中川株式会社(従業員30名、資本金3,000万円)は、祭り衣装等祭り用品の企画・制作・販売を行う1910年創業の老舗企業である。浅草に店舗を構えているほか、オンラインショップを運営し、全国の百貨店の催事にも出店している。

同社の中川雅雄社長は、米国留学後、出版社勤務を経て、1987年、34歳で実父が経営する同社に入社した。その後、36歳で営業部長、44歳で専務に昇進し、経営革新を主導してきたことで経営手腕を認められ、2002年、48歳で社長に就任した。

中川社長が、事業承継以前に行った経営革新の取組の一つは、情報技術の活用である。留学中に、米国内で情報技術の活用が進んでいる実態を目の当たりにし、その重要性を認識した。同社は、インターネットが普及し始めた1998年頃に、他社に先駆けて自社のホームページでの通信販売を開始した。

また、仕入から在庫管理、受注までの一連のプロセスをシステム化したことで、業務が効率化されたほか、過去のデータから季節商品である祭り用品の需要を予測し、在庫管理・発注を最適化できるようにもなった。さらに、情報技術の活用の効果を発揮させるためには、同社全体の情報技術に対する知識の底上げが必要と考え、商工会議所の研修等も活用しながら、従業員教育を積極的に行ってきている。

こうした経営革新の取組が奏功して、同社の事業規模は拡大し、従業員数も社長就任前の7名から現在の規模へと大幅に増加している。

中川社長は、「会社は、先代、先々代からの預かりものであり、会社を大きくしていくことが、経営を預かっている者の使命。自分が新しいことに取り組んできたことについて、先代は口を出さず、自由に行うことができた。社内で十分な実績を上げたため、社長になる頃には社内外でも認められるようになっていた。」と語る。

浅草中屋本店

浅草中屋本店

事例2-3-5 株式会社比叡ゆば本舗 ゆば八

経営者が自らの持ち味を発揮して自社商品のブランド化を図るなど、事業を発展させている企業

滋賀県大津市の株式会社比叡ゆば本舗ゆば八(従業員76名、資本金2,500万円)は、ゆばの製造・販売を行う企業である。同社は、1940年の創業以来、ゆばづくり一筋に歩んできている。

同社の八木幸子社長は、育児をしながら経理等を担当し、1993年に副社長に、その後、1994年に先代社長が他界し、社長に就任することとなった。先代社長の急逝は想定しておらず、事業承継の準備をしていなかったため、自社株式の承継では大きな苦労があった。食品を扱う事業であり、万一に備えキャッシュフロー経営を意識して、内部留保を手厚くしてきたためである。

先代社長は何でもできるアイディアマンであったため、経営の承継でも悩んだが、自分は同じやり方はできないと思い、先代社長が築いた経営基盤を受け継いだ上で、営業部員から商品開発のアイディアを募り、商品の種類を増やしていった。

さらに、女性経営者という立場を活かして、自らが先頭に立ち、全国各地で講演し、また、百貨店の催事出店、著名な料理人とのタイアップ等、「比叡ゆば」の認知度を高める取組に注力し、自社商品のブランド化を図ってきた。先代社長の生前は、業務用ゆばの販売が大半であったが、八木社長の就任以後、小売の割合が増えてきている。

後継者については、長男である現在の専務を考えている。長男は、早くから事業を承継する意思を持っていたが、10年前、同社が厳しい問題に直面した時期に、前職を辞して入社を決断したことで、従業員からの信頼が醸成された。現在は、自ら立ち上げた東京支店で、百貨店等への営業を行うとともに、商品の安心・安全の追求や商品製造の効率化に取り組んでいる。

八木社長は、「自らの経験から、事業承継の準備には少なくとも5年は必要。事業承継は接ぎ木に近い。先代が築いた経営基盤を維持しながらも、新しい価値を積み上げていくことが重要である。」と語る。

おさしみゆば

おさしみゆば

事例2-3-6 株式会社日協堂医療器

親子二代で地域の医療・介護サービスを支える企業

香川県観音寺市の株式会社日協堂医療器(従業員20名、資本金1,000万円)は、医療機器、介護用具の販売・レンタルを行う企業である。

同社の先代社長である喜井博惠会長は、創業者である実父が病で倒れたことにより、社長に就任した。営業以外の経験はなく、準備期間のない事業承継であった。医療・介護分野の経営には、専門性が求められるため、その後の経営は苦労の連続であった。

喜井会長は、事業承継には長期的に取り組む必要があり、後継者には、なるべく早いうちから、社内で経験を積ませた方が良いという認識を持っていたが、自身が経営者として辛い経験をしたことから、息子への事業承継には、あまり積極的ではなかった。

息子の喜井規光社長は、作業療法士の資格を取得した後、県外の診療所に勤務し、同社を承継する意思はなかった。しかし、当時社長であった喜井会長が苦労していることを知り、息子として手助けをしたいと考え、2002年、23歳で同社に入社した。

喜井社長は、今後も需要増が見込まれる介護分野の強化を、同社の進むべき方向と見定め、社長就任前から、介護用具の販売・レンタルに注力した。また、地域の高齢化の進展により、高齢者への直接的な支援の必要性を感じ、2004年には、介護付き有料老人ホームの運営を、別会社で開始した。

喜井社長と喜井会長は、同社の経営方針を巡る意見の違いから度々衝突してきたが、会社や地域への思いを共有していることから、両者が向き合い支え合って、経営課題を乗り越えることができたという。2009年の喜井社長の社長就任後も、業績は順調に推移しており、2012年には、社会福祉法人を設立し、特別養護老人ホームの運営も始めている。今後も、地域の医療・介護に、一層貢献していきたいという強い気持ちを持っている。

介護用具の展示場

介護用具の展示場

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