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第1回JAPANブランド・プロデューサー会議発言要旨

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日時:平成18年10月5日13時〜15時

場所:日本商工会議所A会議室

出席者:
 (株)岩倉榮利造形開発研究所代表取締役 岩倉 榮利氏
 (株)TRUNK 代表取締役 桐山 登士樹氏
 (株)ゼロファーストデザイン 代表取締役 佐戸川 清氏
 (株)リビングデザインセンター プロデューサー 杉原 広宣氏
 アッシュコンセプト 代表 名児耶 秀美氏 
 (株)東京デザインセンター 代表取締役 船曳 鴻紅氏
 (株)日本総合研究所 上席主任研究員 金子 和夫氏

発言要旨:

【各地の取り組みの現状と課題】

1.岩倉氏(加茂商工会議所、桐たんす等木工製品)

  1. 産地が置かれていた状況
    • 加茂は桐の産地ではないが、職人は多くいる。
    • 現在、加茂は日本の桐ダンスの約8割を生産している。
    • 以前は婚礼家具など、桐の家具に対する需要は高かったが、近年は急減している。
    • 今後、最低限のニーズは確保できるものの、飛躍できる方向性を示せない状態にあった。
  2. JAPANブランド育成支援事業で行ったこと
    • やわらかい素材であるという桐の特徴から、その加工には高度な技術が要求されることに目をつけた。
    • その上で、現代のリビング・ダイニングに適応した道具として機能やデザインを進化させるようにした。
    • 上海とドイツで製品の発表を行った。その結果、中国の家具業界は、大量生産には向かない桐の家具製造には関心がなく、競争相手としては対象外であることがわかった。また、ドイツ(アンビエンテ)では、「見たことのない仕上げだ」「逃げ(隙間)がない」という評価を得て、ヨーロッパでは桐のようなやわらかい素材を使用する習慣がないことがわかった。
    • 以上のことから、桐の加工技術は、世界で真似のできない、日本で唯一育ったものであるという自信を得ることができた。
    • 桐の家具のデザインをシンプルにすることにより、付加価値がつくと認識している。
    • 既に銀座のレストランから引き合いがあるとともに、海外の高所得者から、想像以上の高い価格での買い取り希望があった。
  3. 今後の事業拡大の方法について
    • ブランド形成には3〜5年、ブランド確立には10年は必要だということを、加茂の人たちが理解してくれたことは大きい。
    • 想定スケジュールとしては、1年目でプロトタイプを海外で発表(済)、2年目に日本での発表(Gマークに参加、家具ショーへの出品、海外ではケルンに出品)、3年目には独自の販売チャンネルの構築(上代、原価を決めて会社を立ち上げ、ネットビジネスを中心に、各地にパイロットショップを展開)、4年目以降、海外への売込みを想定している。
    • 最終的には売上げ10億円を想定し、資金調達できる会社としていきたい。
  4. JAPANブランド育成支援事業について
    • 加茂の参加者は皆熱心だが、零細企業が多いので厳しい経営状態に置かれている。ブランド形成まで最低5年間は必要だと思うので、それまで、国からの支援をいただきたい。
    • ただし、日ごろから、事業者に対し、「基本的には自分たちが出資していくことが必要」というアドバイスはしている。

2.桐山氏(会津若松商工会議所、漆器(会津塗))

  1. 産地が置かれていた状況
    • 地方に共通していることだが、ほとんどマーケティングができておらず、流通面では古い問屋制度の影響が強かった。また、デザインに対する優先度が低いが、言われたことには一生懸命取り組む傾向が見られた。
  2. JAPANブランド育成支援事業で行ったこと
    • ものづくりの仕組みの中で欠けているところをどのように補完していくかというところから事業を開始した。
    • まず、軸をしっかりと固めるために、市場の分析から入り、次に、コンセプトを明確に打ち出し、参加者の間で共有するようにした。その結果、高級ホテルの調度品ならびに宿泊者のハイエンドの人たちをターゲットにした商品開発を行うこととなった(BITOWA)。
    • JAPANブランド育成支援事業のような新しい枠組みの中で事業に取り組む場合は、コーディネーターの指示にしっかり対応するように、参加者に伝えた。
    • ブランドの考え方としては、「スター的ブランドの構築」「会津らしいアビリティ」「会津らしいビジネス」を基本に据えている(「フォーメーションSAB」)。スター的ブランドの構築により、モチベーションや技術者のレベルを上げ、イノベーションを行ってもらいたいという意図が込められている。また、従来の問屋制度から脱却し、顧客と生産者の「win win関係」を構築していく必要がある。
  3. 今後の事業拡大の方法について
    • 昨年度は、パリのメゾン・ド・オブジェに出品し、いくつかの引き合いもあったが、数値としての実績を残していくことが現在の懸案事項である。
    • 数値については、明確な目標値の設定を指示しており、そこで、今年度の売上げ目標を2億円に設定した。自分たちがつくったものを、どこの店で、何店舗で売りたいのかを明確にしろと、会津の人たちには伝えている。
    • コントラクト、ネット販売、海外市場についても、意識をしながら話を進めている。初年度は小売店舗で6割、コントラクトで3割、インターネットを含めた海外市場で1割程度の売上げ構成を想定している。
    • 目標達成に向けて動ける人材での体制構築を行っているところである。
    • 会津若松に進出するホテル(星野リゾート)に商品を納入する予定があるほか、商社とも交渉を行っている。
    • コントラクト関係では、カッシーナとの交渉がまとまり、商品開発を行っている。
    • メゾン・ド・オブジェに出品して一番良かったのは、ボンマルシェから引き合いがあったことで、会津側には採算割れでもいいので、対応をしっかりしろと指示している(ヨーロッパ市場への波及効果が高いため)。
    • 今年度、チームBITOWAを結成。当初より株式会社化を想定しており(1人100万円程度の出資)、そのぐらい出資をして本気モードにならなければ、活動が中途半端になってしまう。
    • 3年を目途に効果が得られなければ、降りざるを得ないと考えている。

3.佐戸川氏(三条商工会議所:金属製品(刃物)、高山商工会議所:漆器・和紙製品等)

■三条

  1. 産地が置かれていた状況
    • 三条は、古来よりナタガタナ(⇔武器の刀)の伝統技術を有し、世界でも特徴的な製造方法を用いていたが、マーケットは国内に限られていた。
    • 伝統技術も時代の流れに取り残され、陳腐化が目立っていた。また、製造者は零細企業が多かった。
  2. JAPANブランド育成支援事業で行ったこと
    • 産地が陳腐化した原因を探った(マーケットにそぐわない商品をつくってきたことに原因があった)。その上で、マーケティング上の目標を設定した(誰に何を、どのように、どのような流通手段を通して売るのか)。
    • 国内のマーケットでは、百貨店をターゲットに絞り、催し物コーナーなどを通じマーケティングを行った。
    • 海外ではドイツのアンビエンテに出品した。
    • 産地の状況として、現代のニーズに適応した「今使えるもの」を製造していない傾向にあったので、改めて需要創造とその手段、事業目標についての検討を行った。
    • ドイツでは今年は日本の刃物ブームであり、マーケットの需要を満たす商品をつくれば、確実に展望が開けるということである。
    • 将来的には第3セクターの会社を設立し、販売にも力を入れることが必要だ。
  3. 今後の事業拡大の方法について
    • 発表する段階は終わったと認識しており、商流に乗ることが必要である。
    • これまでの反省として、異業種団体との合同で見本市に出品していたため、刃物の見本市に出品できない状況にあったため、今年度は、刃物の見本市に出品した。その結果、引き合いも来るようになった。
    • プロデューサーを採用している産地とそうでない産地の間では、明らかに進行の度合いが異なるようであり、零細な団体の連合がブランド化を目指すときには、プロデューサーを採用するべきである。

■高山

  1. 産地が置かれていた状況
    • 日本の匠の技術が残されていた地域である。
    • 戦後は、GHQの要請に応じて洋家具を製造してきた。
  2. JAPANブランド育成支援事業で行ったこと
    • 当初は木工品産業の振興を目的としていたが、地域に集積する様々な貴重な商材があることに気付いた。
    • 事業を成功させるためには、世界のオピニオンリーダーに理解してもらうことが必要である。ブランド構築にあたっては、底辺から物事を進めていくのは失敗のもとである。
    • マーケティングの結果、ターゲットを、非日常的ではあるが多数の人々が集うホテルやレストランに設定した。また、外国人が日本を感じることを意識したマーケティング展開を行った。
    • 家具だけではなく、和紙や繊維、陶器なども活用し、スタイルとして確立し、マーケットへの導入を図った。
  3. 今後の事業拡大の方法について
    • プロデューサーの仕事とは、マーケティングからはじめ、最終的にはどのように数字での目標を達成するかということにかかっている。また、期限を区切った中で、どの程度の成果を上げることができるかということも重要である。

4.杉原氏(東かがわ商工会、皮革製品(手袋、バッグ、財布、インテリア雑貨))

  1. JAPANブランド育成支援事業との関わりについて
    • プロデューサーとしてよりも、コーディネーターとしてプロジェクトの企画、取りまとめを担当している。また、内容に合わせて、専門家の紹介などを行っている。
    • 「JAPANブランド」という名称がついているが、地域振興の観点から取り組んでいる。
    • プロジェクトを通じてネットワークが広がっていき、個別の企業のやる気が増大していくという、表には出てこない波及効果も期待している。
    • 売れるということも大事だが、地域の技術を発信していくことがまずは第一歩なのだと理解している。
  2. JAPANブランド育成支援事業で行ったこと
    • 東かがわは手袋の産地であったが、手袋にはとらわれず、「生活雑貨」全般に範囲を広げて、新境地の開拓を狙った。
    • 販売体制が整っていないことが大きな課題であった。ものをつくれるけれども、販売する手段の話になると話が進まなくなることがしばしばあった。
    • それまでの競争相手同士が協働してプロジェクトを進めていく難しさを感じた。
    • 開発した商品を誰が取りまとめて販売するのかということが問題になり、現在は、商工会が担当している。販売方法については、今後、どの手段が最適なのかを実証していく必要がある。
    • プロデューサーやコーディネーターからすると、あって当然と思われる熱意が意外とないことも多く、地元業者の事業に関する意識合わせが難しく、時間が掛かる。
    • 「何をもって成功とするのか」というラインが定められていなかったので、成功イメージの設定と共有を図るよう心がけた。
    • ブランドの確固たるイメージを決定できない段階においては、売上げ増を実現することにより、地域の人たちの注目を集め、活動の理解を得て、プロジェクトの継続性を確保していくことが大切であると考えている。
    • プロデューサーやコーディネーターがいなくなった時に、地域の人たちが自主的に事業を遂行できるような橋渡しをしていきたい。

5.名児耶氏(東かがわ商工会、皮革製品(手袋、バッグ、財布、インテリア雑貨))

  1. JAPANブランド育成支援事業で行ったこと
    • 当時のJAPANブランドは1年限りであったので、とにかく期間が短かった。商工会とも議論を重ね、あまりにも短期間であるために商品はつくれない旨を伝えた。商品として売り出すためには、価格設定や販売方法等を綿密に検討していく必要があったためである。
    • 結局、「東かがわで面白いことをやっている」と感じさせるような、「打ち上げ花火」的なことを行い、その先に実業としてのブランド構築を進めていくということで動き出した。
    • まず、「手袋のまち」の実情を知るために、現地を訪れ、ヒアリングを重ねた。そこで、現地の人たちは、高度な技術を持っているのにも関わらず、その価値については正しい認識ができていないことがわかった。
    • 手袋に対する需要が縮小した時に、「次に何をするのか」という創造性に乏しいところが課題であった(現代のニーズへの切り替えができていなかった)。
    • 結局、時間的な制約などから、価格的な詰めはできなかった。
    • 「打ち上げ花火」には成功したが、商品化を急ぐ地元に対し、検討・克服すべきことが数多くあることを説いた(価格、販売主体、経路等)。
  2. 今後の事業拡大の方法について
    • 販売主体の確立のための会社の設立も検討されたが、地元業者は及び腰になった。積極的に販売しようとした会社に対しては、周囲がつぶしにかかったが、成果を上げないと助成金の無駄遣いになると諭し、1社が、現在は助成金なしで展開をしている。
    • 地場産業を元気にしていくためには、関係者が協力していく必要があるのではないかと考えている。
    • 助成金は団体に支給され、参加企業に公平に分担されるが、やる気のない企業にまで分担されるのは垂れ流しと同じではないだろうか。志が高く、光るところがある企業に助成を集中させ、殻を破った後には、自分自身で経営をできる仕組みをつくるべきなのだと思う。
    • 東かがわの反省で、今治では、地域が共有できる財産づくりと、個々の企業の活性化に取り組んでいる。

6.船曳氏(鞄結档fザインセンター)

  • デザインの仕事やGマークの審査員として参加している立場から、JAPANブランドに関心を持つようになり、所属する日本デザインコンサルタント協会でも数度にわたる関連フォーラムを開催してきた。
  • しかし、第三者としてこれまで接してきたJAPANブランドの事例には、ほとんどの場合失望している。
  • 日本総合研究所が作成した昨年度の報告書も、公開をお願いしたのだが現在のところきちんといただけてはいない。
  • 納税者の立場から、これまでの国の地方振興策として道路やハコモノづくりにまい進してきたのが、これからの時代は「情報知」を地域に根付かせることが大切になるのだと思う。その意味では、JAPANブランド育成支援事業は、時代を先取りしたのだと思う。
  • しかし、JAPANブランド以外にも振興策は多々あると聞いている。そのようなものを踏まえ、改めて、JAPANブランドを、地方の体質を変え、地域を振興していく手段として活用していければと考えている。体質を変えない限り、単発の成功は継続性に欠ける。単発のプロジェクト支援のために国庫補助金を出すべきではない(それは個々の企業の努力で克服すべきである)。
  • その意味から、これからのJAPANブランドの位置づけを他の施策との関係の中でより明解にしていくべきなのだと思う。中小企業庁の考えを聞きたい。

【JB事業全体の推進について】

1.岩倉氏

  • 「やる気」「根気」「のんき」が必要だ。とにかくじっくりやることだ。
  • ブランドづくりには自らの財産をなげうっても関わっていくという気持ちが必要であり、地場産業の補助金に頼る姿勢を変えていかなければならない。
  • 海外展示会の際、場外に日本館を開設するなどの対策が効果的ではないだろうか。また、出版やメディアを連携するなどの総合力が必要だ。JETROに頑張っていただきたい。

2.桐山氏

  • 現在行っている事に対する、消費者側からの評価軸が必要である。評価の仕組みについては、これから考えていかなければならない(事業計画が重要)。そのための、JAPAN協会的な組織が必要になってくる(評価とその宣伝を行う)。
  • 消費者との接点を設けることが大事だ。オゾンのような施設を活用することだ。
  • webや新聞などを通じた主体的なメディア戦略を展開することが必要である。
  • 達成の結果そのものをもって判定するのではなく、期待値があるのかどうかを汲んでいくことが重要だ。

3.佐戸川氏

  • 評価は20世紀型の手段ではないだろうか。むしろ、これからはムーブメントをつくることが重要である。JETROの場合も、県としてまとまって出た時のムーブメントは特筆すべきものがある。
  • そのためには、アンビエンテの時に、日本館を設けるなど、総合的に展開することにより、消費者にアピールすることが必要である。

4.杉原氏

  • 商品をつくった後、どのように売るかが大事で、大手小売業を巻き込んだ形で支援ができればいい。
  • マスコミも重要な役割を果たすので、適切な連携関係が築ければいい。

5.名児耶氏

  • JAPANプロジェクト関係者が一同に集まり、発表する機会があれば、目指すべきものが見えてくるのではないだろうか。そうしなければ、最終エンドユーザーまで情報が届かないのではないだろうか。その意味では、場所とメディアのバックアップが必要である
  • プロジェクトの評価は難しいと実感している。10年、20年経たないと結論を出せない部分が大きい。

6.船曳氏

  • JAPANブランドは、今後、後発の中小企業庁の各種地域振興策の中で、性格がより鮮明になると思う。JAPANブランドというからには、海外発信をまず念頭に置いているはずで、その意味ではJETROも重要な役割を占めていくのだろう。例えば国際交流基金が行う展覧会など、せっかく同種のイベントが海外で開催されていながら、広報をとってみても連携が見られない。効果的なアピールができるよう、JETRO等が仲介役になり、末端部分での情報交換が円滑にいくような配慮が必要だ。

以上